前回から約2ヶ月空いて久しぶりの街道ウォーク♬
新幹線と在来線を乗り継いで掛川までやってきました。
曇り空ですが、これから晴れてくるそうで…
暑い一日になりそう🥵
2023年8月
【道のり】
①掛川宿〜日坂宿
掛川駅から5分ほど歩いて前回のゴール地点へ。
スタート地点からすぐのところに本陣通りという飲食店が立ち並ぶところが本陣跡。
こんな形で残っている本陣は街道ウォークをしていて初めてです!
商店街を抜けて進むと、掛川宿の防衛のための七曲り枡形が現れます。
住宅街を右に左にクネクネ歩きながら進むと、「塩の道」と書かれた案内表示が。
昔この辺りは、東海道と内陸地方へ物資を運ぶ街道が交差して賑わっていたそうで、太平洋でできた塩を運ぶ道にもなっていたようです。
七曲りをクネクネ歩いていると…
結局元の道に出てきました💦
今の幹線道路は七曲りを迂回して直線上に作られています。
両側が住宅街の真っ直ぐに伸びる道を歩くと、葛川の一里塚があり、馬喰橋を渡ってさらに直線の道は続きます。
途中集落に入っていく場所もありましたが、日坂宿まではほぼ真っ直ぐな道💦
いや〜😅
東海道はこのような真っ直ぐ伸びる道が多いこと💦
日坂宿に近づくにつれ、少しづつ上り坂になってきます。右側に道の駅が見えると日坂宿まであとわずか♬
しばらく行くと宿場の入り口の到着です😊
日坂宿は、山あいにある小さな宿場町で、主要道路からも外れていることから、昔の雰囲気を残すイイ宿場町です😊
歴史は古く鎌倉時代1310年の「夫木和歌抄」に出てくるそうです。
東海道の難所「小夜の中山峠」西の麓に位置し、大井川の川止めや参勤交代の大名などで、小さいながらに賑わっていたとのこと♬
高札場が復元されていたり、江戸時代後期に建てられた旅籠屋「川坂屋」や「萬屋」、商家の「藤文」などの建物が今も残っています。
脇本陣跡、問屋場跡を過ぎたところに本陣跡があります。
本陣を過ぎたあたりで日坂宿は東の外れとなります。
②日坂宿〜金谷宿
その先のバイパスを渡ると峠道が始まりました!!
久しぶりの峠道です。
やっぱり峠道はイイですね〜😄
上りはキツいですが、緑に囲まれた道を歩くのは大好きです😆
峠に差しかかってすぐのところに安藤広重が描いた日坂宿の絵碑が立っています。
峠を越えて日坂宿を歩く人々が描かれています。
峠道はだんだん急になってきます。
通称「七曲り」
さっきは掛川宿内にあった平坦な七曲り。
今度は峠の七曲り💦
「二の曲り」辺りが一番キツい😩
その先も上りが続き…
上り切ると…
道の両側には茶畑が広がる一本道が!
山並みが見渡せる美しい景色が広がっていました!!
こういう景色を見るといつも思うんですよね〜
あの山の向こうはどんなところなんだろう!?って😆
この時は、北側に見えていた山並みなので…
あの山の向こうは長野県なんだろうか…
とか考えながら歩いていました♬
景色を楽しみながら東へ進んで歩きます。
すると小夜の一里塚があり小夜の中山公園に到着です😊
久延寺を過ぎると今度は急な下り坂が延々と続きます。
ここは青木坂と呼ばれる小夜の中山最大の急坂!!
真っ直ぐに伸びる坂道は、江戸方面から進んでくると、とんでもない上り坂💦
下りで良かった〜😅
坂を下りきるとそこは菊川の里♬
日坂宿と金谷宿との間にある間の宿です。
ここは日坂宿と金谷宿との距離は短いのですが、急所・難所が続く道のりだったため、間の宿が置かれたとのこと♬
しかし歴史は古く、吾妻鏡の中の源頼朝上洛の記事に出てくるそうです。
頼朝といえば…
鎌倉幕府創設者。
西暦でいえば、1200年前後…
歴史ありますね〜!!
菊川の里を過ぎると、また峠道です。
今度は石畳の峠道!!
この石畳、江戸時代の石畳が残っていたそうで、旧東海道の中では箱根に次ぐ2例目だそうです!!
また、五街道の中でも数少ない現存する石畳だそうで!!
こんな、静かな場所に残っているんですね〜😳
ここを歩くまで知りませんでした!!
石畳の峠道を上りきり、諏訪原城址を過ぎると、今度は金谷の石畳の道が始まります。
ここは金谷宿までの下り坂。
下りきるとそこが金谷宿です。
金谷宿は、東に大井川、西に小夜の中山の峠道という難所に挟まれた宿場町だったので、今は昔の面影を残すものは少なかったですが、大いに賑わった宿場だったそうですよ!!
金谷宿の西の入口は金谷大橋という土橋があったそうですが、現在はありません。
金谷の一里塚を過ぎて、金谷の町中を進んでいくと本陣跡があり、この辺りが金谷宿の中心部です♬
その2につづく。
コメント