大阪から歩いてお伊勢参り♬
7年かかりましたが踏破することができ、無事にご参拝できました😊
次なる目標は…
歩いて高野山を目指し奥の院にお参り♬という事で😊
大阪から歩くことにしました😊
今回も妻と一緒の高野参りです♬
まずは高野山を簡単にご紹介♬
真言宗の霊場である高野山は、平安時代の初め、弘法大師空海によって開かれた仏教の聖地です。
海抜1000メートルの山上に広がるお山は、東西6キロ南北3キロの盆地で、蓮の花のような地形をしています。
そこには120近くの寺院があり、一般庶民からも信仰を集め、今も昔も多くの人々が参詣しています。
弘法大師空海は西暦853年、62歳で即身成仏を遂げられ、奥の院におられますが、今なお生き続けられているとされ、僧侶が日々食事を準備してお持ちする慣習があるんです😊

高野山へ向かう道はいろいろ♬
高野山に参詣する道はたくさんあります。
京都、大阪、奈良、熊野、大峰、和歌山とあらゆる方向から高野山に行くことができます。
「高野七口」と呼ばれ入口も7つあったそうですよ!
京都大阪からも、
・京都府八幡を起点とする東高野街道
・大阪市平野を起点とする中高野街道
・大阪四天王寺を起点とする下高野街道
・大阪堺を起点とする西高野街道
と4つのルートがあり、それらが大阪河内長野で一本の道となり、高野山へ続きます。
今回歩くのは西高野街道。
京大阪道(不動坂)を歩いて高野山を目指すことにしました😊

2025年6月
さぁ出発〜♬
①いきなりですか!?
南海電車に乗って堺駅へ♬
まだ6月だというのに…
暑い!!
駅で出発の準備をして、いざ出発!!
と思いきや…
目の前にあるスターバックスが目に入り…
妻が「スタバ行こ」って…
「え〜っ!!」
歩きはじめて100歩も歩いてないよー!!
妻曰く…
街道歩きの運動と観光を兼ねているそうで、飲みながら歩くと😆
まぁ元気に最後まで歩いてくれたらと思い、テイクアウトして改めてスタートしました😆

②起点から仁徳天皇陵へ
西高野街道の起点は、紀州街道と分岐する場所大小路にあり、奈良に続く竹内街道としばらく同じ道となります。



西高野街道には、高野山女人堂まで13基の里石が一里ごとに建っていてすべて現存しているそうです!
まずは最初の里石がお地蔵さんの横の建っていました♬
「高野山女人堂十三里」と刻まれていて、ここから女人堂まで約52キロ!!

住宅街を歩いていくと、竹内街道との分岐点にさしかかり、西高野街道は右へ。


さらに進むと街道は仁徳天皇陵へ。
巨大な前方後円墳である仁徳天皇陵は、歩いていると大き過ぎて全貌は全く分かりませーん😆


※仁徳天皇
仁徳天皇は4世紀末から5世紀前半に在位された第16代の天皇。
民家から炊飯の煙が立ち昇っていないのを見て、生活の厳しさに気づき、3年間税を免除したところ、煙が立ち昇るようになり、さらに3年無税にしたという伝承がある。

③古墳と戦国武将ゆかりのお家
住宅街を歩いて中百舌鳥(なかもず)までくると、公園のような開けた場所が。
御廟表塚古墳と案内板が立っていて、このあたりも古墳が多いんだなぁ♬
帆立貝形古墳らしいですが、耕地開発や宅地開発などで一部だけしか残っていないんだとか…
その隣には戦国武将筒井順慶末裔が住んでおられる筒井住宅が!!
江戸時代に建築された建物は国の登録有形文化財に指定されています。
筒井順慶といえば、大和郡山城主。
古墳時代と戦国時代。
時代が違う歴史に触れることが出来ました♬





④だんだん自然が多くなってきた!!
大阪狭山市に近づくにつれ、緩やかな上り坂が長く続きます。
金剛に向かう追分を過ぎると畑も見られるようになり、緑も多くなってきました♬





河内長野に入ると山も近くに見え、下高野街道や中高野街道、東高野街道と合流しながら、今日のゴール河内長野駅に到着で〜す😊





つになり高野山に続く
まとめ
歩いて高野参り、初日は河内長野まで20キロを歩きました♬
平坦な堺の繁華街から住宅地、大阪狭山市の丘陵地と起伏の富んだ道のりでした。
いくつもの追分があり、いろんな道が交わる西高野街道。
参詣だけではなく、古くから重要な道であった事を物語っています。
最初は見えなかった金剛の山々が、だんだん近くに見えてくる様子は高野の地に近づいているとワクワクさせてくれました😊
道々お地蔵さんがあちこちに祀られていて、数が多いことにびっくり!!
古墳もあり、戦国武将末裔の方が暮らしているお屋敷があったりと歴史と信仰を感じさせてくれる道中でした。
妻も元気にゴールイン😆
河内長野から先は「高野街道」と名を変え高野山へと続きます♬
次は難所、紀見峠を越えて和歌山県へ。
峠越えは涼しくなった秋かなぁ♬