【七里の渡し迂回ルートを歩く】街道さんぽ 佐屋街道編② 佐屋宿〜宮宿 29キロ

東海道編

七里の渡し迂回ルートの佐屋街道2日目。

今日は佐屋宿から宮宿までの予定で名鉄佐屋駅からスタートしたのですが…

近鉄弥富駅で名鉄に乗り換える道で迷ってしまい…

予定より大幅に遅れての出発となりました💦

まずは前回のゴール地点、三里の渡し趾に向かいます。

【道のり】

三里の渡し趾に向かう途中、住宅街の中に「水鶏塚(くいなづか)」という松尾芭蕉ゆかりの塚がありました。

芭蕉が佐屋宿に宿泊した際、歌を詠んだことを記念して作られた句碑です。

水鶏塚

佐屋駅から約20分で三里の渡し趾に到着、宮宿に向けて歩き始めました。

佐屋宿を抜けると田園風景が広がる道を進みます。

かつてこの道が佐屋街道として賑わっていたことを示す大きな街道碑が立っていました。

田園地域や住宅街を進んでいくと、埋田追分に出ます。

ここは、愛知県津島市にある津島神社へ向かう津島街道との分岐点。

江戸時代は茶店などもあり賑わった場所だそうですが、今は常夜灯と一ノ鳥居の台石、それに道標が残っているだけです。

途中暑さのため、コメダ珈琲で休憩を挟んで、佐屋宿から歩くこと約8キロ。

神守(かもり)宿に到着〜♬

現在は住宅街になっていて、宿場時代の面影は残っていませんが、宿場跡の案内表示や一里塚が残っています。

神守宿の町並み

神守宿から次の万場宿までは、交通量の多い道をひたすら進みます。

途中、七宝焼原産地であることを示す道標や、シーボルトが江戸へ向かう途中に緯度の測定を行った千音寺の一里塚、大きな大きな常夜灯がある光園寺の前を通って万場宿へ入って行きます。

光園寺の山門は織田信長と斎藤道三が対面した聖徳寺から移築下ものだそうです😵

万場宿と次の岩塚宿は「万場の渡し」を挟んで向かい合わせの場所にあり、今は橋を渡って15分ほどで到着します。

万場宿も岩塚宿も今は住宅街で宿場の面影は残っていません。

岩塚宿から金山までも長い長い直線道路。

途中、佐屋街道の道標と説明文が掲げられている場所を通り、尾頭橋を渡って金山にある、「三所堺道標」に出て右へ進むと、熱田神宮が近づいてきます。

歩道に記された案内表示

源頼朝出生地を通り、熱田神宮を左に見ながら、七里の渡し場へ♬

桑名宿から七里の渡しを迂回し、佐屋街道を歩いて宮宿到着です😊

七里の渡しがある宮宿は、熱田神宮の門前町であり港町であり…

往時は大変な賑わっていた宿場町だったそうです。

なんでも東海道最大の宿場町だったとか!!

今回二日かけて、海の東海道「七里の渡し」の発着場を迂回路を歩いて見ることができました。

この日は、熱田神宮への参拝は次回とし、神社の境内を横切り駅へと向かいました。

(29キロ歩いてヘロヘロになりました💦)

ここから、また東海道を東へ歩いて行きたいと思います。

熱田神宮鳥居

【見どころ】

①熱田神宮

今日歩いた道のりでメインはやっぱり熱田神宮♬

三種の神器である草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)が祀られている神社で、伊勢神宮につぐ尊い神社でもあります。

名古屋の大都会の中に、木々が生い茂る広大な土地を有し、鳥居をくぐると神聖な空気が漂います。

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熱田神宮 三種の神器の一つ草薙神剣の御鎮座に始まる由緒、祭典等のご紹介。

②七里の渡し渡船場

かつて「熱田湊」と呼ばれていた七里の渡しの発着場所は、現在公園として整備されていています。

東海道唯一の海路で、その歴史は古く壬申の乱(672年)まで遡るとか😵

名古屋市:東海道唯一の海路「七里の渡し(宮の渡し)」(熱田区)
東海道唯一の海路である「七里の渡し」について説明しています。

【歩いてみて】

今日は佐屋宿から宮宿まで29キロを7時間40分かけて歩きました。

道のりはほぼ平坦。

佐屋宿あたりは田園風景が広がりますが、住宅街を歩くことが多い道のりです。

途中お店もたくさんあり、飲食の補給は問題ありません。

直線道が多く、歩いても歩いても進んだ気がしないので、私にとっては苦手な道のりでした💦

前回の桑名宿〜佐屋宿までもそうでしたが、東海道の脇道だったので、案内表示は少ないです。

今日も道を間違えて大きなロスをしてしまいました💦

次回は熱田神宮に参拝してから東海道を東へ進んでいきたいと思います😊

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