旧東海道を歩く旅が終わりました。
東海道は「東海道53次」と言われる東京日本橋と京都三条大橋とを結ぶ、五街道の一つ。
今回は大阪の淀屋橋から京街道を通り、伏見追分で東海道と合流、その後東海道を日本橋まで。
「東海道57次」と呼ばれるルートを歩きました。
日数は27日。
距離は寄り道も含め625キロ。
同じ東京〜京都を繋ぐ道は中山道もありますが、中山道とは全然違う雰囲気を味わうことができました。
今回、まとめとして書いていこうと思います。
【東海道って?】
東海道は江戸時代に整備された五街道の一つで、日本橋から京都三条大橋を結ぶ街道です。
途中53の宿場町を設置。
参勤交代やお伊勢参りなど多くの旅人が利用した江戸時代屈指の主要道路です。
徳川家康は各地の大名と京都に住む公家とが結びつくのを防ぐため、山城国(京都府)に入る手前から大阪に繋がる京街道を推奨し、直接大阪へ向かう道を整備しました。
大阪まで、4つの宿場(伏見・淀・枚方・守口)を加えて「東海道57次」と呼びます。
【中山道との違い】
東海道と並んで日本橋から京都三条大橋までを結ぶもう一つの街道が中山道。
草津宿で東海道に合流します。
中山道が信濃国(長野県)や美濃国(岐阜県)など山岳地帯を通るルートに対して、東海道は海沿いを通るルートで、峠道も少なく平坦な道が続き歩きやすかったのですが、中山道歩きと比べて単調な箇所も多く、退屈に感じることもありました。
また、江戸時代は、幕府の江戸防衛の観点から川に橋を架けず、舟渡しや人足渡しで川を渡る場所が多く、天候によっては川留めがあったりして、旅の日程が狂いやすかったようです。
実際、静岡県内には大井川や天竜川など大きな川が流れていて、今でこそ橋を渡って旅ができましたが(橋を渡るのにも10分以上かかりました😵)あの河川に橋が無いなんて…
その他の川にも橋が無かったと案内板に記載された川が多数ありました。
また、宮宿(愛知県)から桑名宿(三重県)の間は海の街道(七里の渡し)として舟で海を渡っていて、自然の影響を受けやすかった街道だと感じました。
【東海道を歩いた印象】
先にも書きましたが平坦な道が多いので、中山道歩きの時より楽に歩けましたが、真っ直ぐに伸びる道も多く、退屈に感じる時も…
大きな峠は二つ。
西の鈴鹿峠と東の箱根峠です。
鈴鹿峠は西側から登ったのですが、思っていたほど峠を越えるのに苦労は感じませんでした。
下りは急坂を降りて行きましたので、東から登ると大変かも💦
箱根峠は「箱根八里」と言われる通り、距離が長い💦
峠を越える区間の三島宿から小田原宿まで10時間30分かかりました。
しかし、峠を登った芦ノ湖から見る景色は絶景です!!
また、東海道は歴史が詰まった道でした。
坂上田村麻呂や源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、松尾芭蕉など、歴史上有名な人物ゆかりの場所が多数あります。
中でも徳川家康ゆかりの場所が多かったです。
特に愛知県西部の岡崎の地から、静岡県の駿府まで。
家康が治めていた領地だったからでしょうね!!
お城も多かったですよ!!
岡崎城や浜松城、掛川城、小田原城などなど…
お城好きな方は是非東海道を歩いてみてください!!
【記憶に残る絶景3選】
東海道を歩いて…
歩いたからこそ目に止まった景色がたくさんあります。
ここからは東海道の旅で記憶に残っている絶景を3つ選んでみました。
①瀬田の唐橋からの比良山系
この日は2月の寒い朝でした。
快晴に恵まれ滋賀県の石山駅を出発。
瀬田の唐橋を通りかかり後ろを振り返ると、琵琶湖に繋がる瀬田川の向こうに聳える雪を被った比叡の山並みが綺麗だったこと!!
冬の朝で、空気が澄んでいたから尚更!
思わず「素晴らしい!!」と呟いてしまいました😆
②薩埵峠からの駿河湾と富士山
季節は秋♬
興津宿を出発。
この日の楽しみは薩埵峠から見る景色でした。
駿河湾が広がる海と、海岸線と峠との間にある狭い陸地を高速道路とJRが走ります。
その向こうには富士山。
ガイドブックにも掲載されている有名な景色です。
峠自体は急な道ではなく、難なく登れました。
そして峠から見えた景色が…
素晴らしい!!
の一言でした!!
東海道一の絶景と言われるのもわかります!!
海と富士山という大自然の間を縫うように、人間が作った高速道路と鉄道。
高速道路を走る車。
自然を前にして、すごくちっぽけに見えました。
そして、ガイドブックでも目にする景色が目の前に広がる感動!!
この感動は中山道を歩いて妻籠宿でガイドブックに掲載されていた写真と同じアングルでカメラに収めた時と一緒でした😊
ここでで長い間、景色を眺めながらの休憩となりました。
③芦ノ湖
11月に三島宿から小田原宿までの箱根峠越えにチャレンジ。
そう…有名な「箱根八里」に挑戦でした。
八里と言えば約32キロ。
それも東海道最大の難所箱根峠越え。
小田原に何時に着くか不安で…
朝6時30分に三島宿を出発。
11時過ぎに箱根峠到着。
芦ノ湖が広がる箱根宿を歩いているときに目にした景色。
大きな芦ノ湖に遊覧船が浮かんでいます。
その向こうに雪をまとった富士山が半分姿を見せていました。
長い箱根八里の旅の途中、目にした絶景でした😊
【今も残る宿場町3選】
今回、大阪から東京まで歩いた間には57の宿場町がありました。
昔の面影を残す宿場町もあれば、現在は都会に様変わりした宿場町や住宅街になっている宿場町といろんな顔に変わっていました。
その中から、お勧め宿場町3つを選んでみました。
①関宿
鈴鹿峠を越えて伊勢国(三重県)に入り、坂下宿の次が関宿です。
ここは昔の宿場町の街並みが残り、今でも観光スポットにもなっています。
伊勢別街道と大和街道の追分、近くには鈴鹿峠と江戸時代には大変賑わった宿場町です。
宿場は約1.8キロ続き、その間江戸時代の街並みが広がります。
現在は、観光客用にお土産物屋さんやカフェやレストランも多数あり、一日ブラブラ歩くのもいいかも😊
②間の宿有松
鳴海宿から知立宿の間にある間の宿有松。
宿場間が長い(約9.3キロ)ため尾張藩が作りました。
歩いていてビックリ😵
国道の高架を潜ると、突然江戸時代にタイムスリップ!!
江戸時代の街並みが広がります!!
この地で作られた手拭いや浴衣は有松絞りと呼ばれ、尾張藩が特産品として保護したそうですよ♬
③間の宿宇津ノ谷
岡部宿と丸子宿の間に聳える宇津ノ谷峠。
この峠の東側にある間の宿宇津ノ谷です。
峠を控えた旅人や、峠を越えて来た旅人が休憩場所とし、茶屋が立ち並ぶ小さな間の宿だったようです。
今は峠を越える人も少なく、ひっそりとした佇まいでしたが、それがまたGOOD!!
峠を越えて街並みを見た時はホッとしました😊
【旅の終わりに…】
2年1ヶ月かけて踏破した東海道57次の旅。
寒い冬の朝から出発した日や汗が噴き出す真夏の日、途中雨が降り出した日、
現地まで行ったのに雪で歩けなかった日…などなど
今思えばいろんなことがありました😊
それもみんな良い思い出です😊
道中の行程で、どうしようかと考えたのが、海の街道「七里の渡し」の区間です。
江戸時代は桑名宿から宮宿までは海を渡っていました。
今は舟が出ていないので、この区間は飛ばそうかとも考えましたが、迂回路佐屋街道を見つけ、そちらを歩くことに。
しかし、佐屋街道も3里の区間は川を舟で渡っていたそうで…
その3里の区間もなんとか旧道を見つけて、陸路で繋げることができました。
美味しいものもいろいろありましたよ😊
岡崎でお土産に買った八丁味噌、府中宿で食べた抹茶アイス、由比宿でランチのおかずに買ったかまぼこ、三島宿にある三島大社で食べた福太郎餅などなど😊
ご当地の名物をたくさんいただきました!
日本橋に着いた時、このまま真っ直ぐ進むと中山道を通って、また京都に着くのですが、なんだか変な感じでした…
西から東京に向かって歩いて来たのに、そのまま真っ直ぐ東に向かって歩いたらまた京都に戻れるなんて…
でも、2019年1月、日本橋を東に向かって中山道を歩いて京都に着いたんですよね〜😆
これで五街道の2つを踏破できました。
東京〜大阪間、中山道とは違う風景を眺めるができた東海道の旅♬
これでおしまいです。
このブログが、今後東海道歩きをされる方々の参考になれば幸いです。
ありがとうございました!!
了
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