街道さんぽ旅 中山道編 7日目 横川駅〜沓掛宿 22キロ

中山道編

いよいよ碓氷峠を越えて長野県に入ります。碓氷峠は中山道の中でも有数の難所。これまで関東平野を歩いてきましたが、これからは山岳地帯が多くなり、その初っ端です。

出発前にネットで碓氷峠越えについて、経験者の皆様の書き込みを読んできました。

群馬県側からの登りがキツい様で、虫が多いとか、ヒルがいるとか…

途中はコンビニ等のお店も無いので、水分補給や栄養補給、虫除けスプレー、そして念のために熊よけの鈴を用意して…リュックは結構な重量になってしまいました。

準備を整えて出発!!

この日は初夏の快晴!イイお天気です!

前回終了地点、横川駅に降り立ちスタートします。現在は横川駅が終点で、高崎駅へ折り返し運転となっていますが、以前はこの先、軽井沢、小諸、上田、長野を経て新潟県まで繋がっていました。

山々がとても美しい!

しかし…暑くなりそう…

歩き出してすぐに、「碓氷関所跡」があります。

碓氷の関所は、東海道の箱根の関所と並び称される関所で、碓氷峠山麓の3つの川が合流し、険しい山が迫って狭間になっているため、関東を守る関所要害としては最適でありました。

主に、「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まり、鉄砲などの武器が江戸に持ち込まれることや、人質として江戸に住まわせていた大名の妻子が国元へ逃げ帰るのを防いでいました。

そして明治2年の廃止になるまで、機能していました。

西門と東門で区切り、あいだの約95メートルを関所内にして木柵などで囲い、碓氷峠の登り口に堂峯番所を置いて二重に監視していたようです。

現在残っているのは、復元された東門ですが、門柱や門扉は当時のものが使われています。

関所を過ぎてしばらく行くと、「碓氷馬車鉄道」の案内板がありました。

明治の時代、鉄道建設が急速に進みましたが、碓氷峠という難所が立ちはだかり、鉄道の敷設が当時は困難であった為、横川〜軽井沢間は馬車鉄道で繋いだそうです。その後、正式に鉄道が敷かれ短い役目を終えました。

緩やかに登りながら、横川から約2キロの地点に、江戸から17番目の宿場、坂本宿があります。

中山道開削当時は何もなかったそうですが、参勤交代により難所碓氷峠があることから、渋滞となり利用の便宜を図る必要性から宿場町ができたそうです。

坂本宿は碓氷峠を控え、碓氷関所との間にあることから、宿泊や休憩に利用する人たちが多く、参勤交代では大名が宿泊するのが常であり「雨が降りゃこそ松井田泊り 降りゃにゃ越します坂本へ」と馬子唄にも歌われています。

今は、当時の面影は無く、建物が残っているぐらいで、静かな佇まいです。

英泉が描いた坂本宿

ここから妙義山は後から見ることになります。

実に綺麗でした!!

そして、いよいよ碓氷峠です。

ここから軽井沢宿までは11.5キロの山道…ちょっとビビってます(・・;)

上の画像は車への注意喚起。歩く道は車道からは離れた登山道です。この先を左に外れて安政遠足のコースを進みます。

一度車道に合流、車道を渡り本格的な登山道に入ります。中部北陸自然歩道に指定され、見どころが沢山あるようです。

登山道に入ってすぐに急登が待っています。いきなり…

登って行くとまずは、「堂峰番所跡」があります。碓氷関所の出先期間と言ったところでしょうか。

進んで行くと、「柱状節理」が登山道に沿ったところに見られます。

柱状節理とは、火山から流れ出た溶岩が、ゆっくり冷え固まって、規則正しい柱のような割れ目のことをいいます。近くに浅間山があるので、大昔浅間山の噴火で流れ出た溶岩が、冷え固まった為できたのかな。

急登が続きます。特に危険という訳ではないですが、岩がゴロゴロした崖のようなところも…

こんな所もあります

登り始めて30分。刎石山の覗(のぞき)という場所に出ました。ここから通ってきた坂本宿を望めます。なんと景色が良いことか!!横川駅から歩いて来た道が一望できました!!いや〜💦キツかった(-。-;

ここから先は尾根伝いを進みます。

虫の多さにウンザリしますが、見どころは多い道です。

風穴、弘法の井戸、刎石山茶屋跡、碓氷坂の関所跡等々…ハイキングコースになっているので、案内板が至る所に建っています。時代背景もバラバラで、この道の歴史の古さを感じさせます。

ここから熊野神社まで6.4キロ。まだまだ先は長いです(-。-;

距離はまだまだありますが。尾根道の整備されたハイキングコースになっているので歩きやすいのですが、そうは言っても山道。アップダウンの道が続きます。大勢のハイカーと出会いました。でも、軽井沢方面から来る人達が多かったです。外国人の方達も多く見かけました。名所旧跡もご紹介した以外にも多く残っています。

途中、休憩を取り、栄養補給をしながら進んで行くと、道が二手に分かれています。「陣場が原追分」で、右側は、和宮道と言われる道で、皇女和宮様が降嫁の際に開削された道であり、安政遠足のコースでもあります。中山道は左側の道を進みます。

陣場が原追分

ここからは少し下りが続き、小さな川を渡ります。川に橋はありません。石伝いに渡りますが、小さいので、問題なく渡れます。(大雨の後はこの限りではありません(-。-;)悪しからず…)

ここで油断しました…この後、登り返しが凄まじい!!案内板には「長坂道」とありますが、マジで長く急です…最後に難関が立ちはだかっていました…

この坂を登りきれば、熊野神社到着です!!安政の遠足のゴール地点でもあります。安中宿からここまで…すごい距離です!!

この熊野神社、境内に長野県と群馬県の県境があり、それが示されています。神社の向かいにあるお茶屋さんの前には県境のラインが引かれています。こんなの初めて見ました!

そして、とうとう信濃国に入りました!!ここまで来ると、標高も高くなり空気が冷たく感じられます。この辺りは標高1000メートルぐらいありますから!!

因みに…私が育った町の近くにも山がありましたが、その山の標高が642メートル。今立っている場所が標高1000メートル。育った町の近くにあった山のまだ高い所が観光地で開けている…なんか不思議な感じです…笑笑

遊歩道を下って軽井沢宿に向かいます。

軽井沢は、現在有名な別荘地。昔外国人が避暑地として、屋敷を多く構えたことから、現在に至ります。軽井沢宿は、現在軽井沢と呼ばれる場所からは、少し離れた「旧軽井沢」と呼ばれる地域を指します。碓氷峠を控えていることから、昔から栄えた宿場町でした。多くの店が立ち並び、訪れた時も多くの観光客で賑っていました。残念ながら、近代化されていて、往時の面影を残すものは多くありませんでした。

旧軽井沢を抜け、別荘地の間を通って、次の沓掛宿に向かいます。途中すごい道路案内板がありました。ロータリーになっている道が、5方向に分かれて表示されています!!こんな道路表示も初めて見ました!!

さらに進むと、大日本帝国の首相も歴任された近衛文麿公の別荘が今も残っていました。

この辺りまで来ると、浅間山も近くに見ることができます。この日は天気も良く、綺麗な山容を眺めながら歩くことができました。

絶景の浅間山

そしてとうとう、今日のゴール地点、沓掛宿に到着です。

沓掛宿は、前後の宿場「軽井沢宿」「追分宿」と共に、浅間三宿と呼ばれて栄えていました。

火事により、町のほとんどが消失してしまった為、昔の姿を伝えるものは少ないです。現在では、「中軽井沢」と名前も変わり、別荘地や避暑地として発展しているそうです。

ゴールは、しなの鉄道の中軽井沢駅。オシャレな駅です。

天気も良く、暑かったですが、難所碓氷峠を無事に越えることができて一安心!!

これから、長野県の旅が始まります。長野県の北東にある軽井沢宿から、南西にある妻籠宿まで、長野県を縦断する行程。非常に楽しみです!!

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