街道さんぽ 中山道編 26日目 大津宿〜京都三条大橋 13キロ

中山道編

この日は、中山道徒歩の旅最後の日♬

朝から曇り空。

JR大津駅にやって来ました!

京都三条大橋まで13キロを歩きます。

【水運を活かして栄えた大津宿】

大津宿は古くから琵琶湖の水運と、北国街道からの陸運が交わり物資が集散する要衝の地♬

東海道の宿場町で最大の人口を抱えていたそうです。

町には、あちこちに東海道の文字があり、一部古い建物が残っています。

広重が描いた東海道53次大津宿

大津宿の中心、「札が辻」を左に行くと本陣跡があります。

本陣跡

この辺りは、国道に面し、路面電車も走っているんですが、4両もつないだ路面電車を初めて見ました😵

そして大津では、明治の時代大事件が起った地です。

それは、「大津事件」と言われ、明治24年来日していたロシアの皇太子が警備中の警察官に切りつけられ負傷した事件。

日本側は、明治天皇自ら皇太子を見舞い、招きに応じてロシア艦内に赴くなど、異例の措置を取り、事を収めようと迅速に動いたそうです。

大津事件発生の地

【逢坂山関所跡へ】

大津宿を過ぎて国道沿いの峠道を進みます。

途中、日本人の設計施工したわが国最初の山岳ずい道(トンネル)があります。

峠を登りきると、逢坂山関所跡に到着です♬

古代に設置された「三関」の一つ、愛発関(越前の国、現在の福井県)が、ここ逢坂山に移され、関所を設置された場所です。

国道1号線に面しているので、これまで車で何度も通っていたのですが、石碑が立っている事を全然気付きませんでした…

百人一首の句で蝉丸が、

「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」

と詠んだ有名な場所です。

【追分を通り、いよいよ京都へ!】

逢坂の関を過ぎると、峠は下り道となります。

国道沿いを歩き、名神高速の高架をくぐり、国道から外れて旧道を行くと、

髭茶屋追分です。

ここは、伏見街道との分岐点で、左に行くと、奈良・大阪方面です。

左が伏見街道、右が東海道
三代目の道標。初代は江戸時代建立。

そして、いよいよ京都市に入ります!!

追分を過ぎた辺りに、京都・大津間に敷かれた車石が残されています。

逢坂山・日ノ岡峠という勾配を牛馬車が通行するのは難しかったため、花崗岩に溝を刻んだ石をレールのように敷いて牛馬車の通行がしやすいようにしたとのこと♬

緩やかな坂を下り、国道1号線・161号線を歩道橋で渡って山科市街地の入っていきます。

歩いてきた道を振り返る

しばらく行くと、「小関越道標」があります。

ここは三井寺に向かう分岐点。

三井寺を通って、大津宿の札の辻まで続いています。

山科市街を通り、天智天皇陵を過ぎると、いよいよ京都三条大橋への最後の峠、日ノ岡峠です。

天智天皇陵
日ノ岡峠

日ノ岡峠を歩いていると、私と同じ種類のガイドブックを持っていたご夫妻とお会いしました。

東海道を東京から歩いてきたそうです。

ご夫妻も今日が最後の道のりだそうで、少し言葉を交わして、それぞれ三条大橋を目指しました。

【そして…三条大橋へ!!】

日ノ岡峠を越えると、いよいよ京都市内が見えてきます!!

途中、昔設置されていた、牛車道を模したモニュメントが置かれた広場を通り、京都市内へと向かいます。

坂本龍馬・お龍の結婚式場跡、1678年建立の白川橋道標を見ながら、高山彦九郎の銅像が見えたら、すぐそこが三条大橋!!

そしてついに…中山道のゴール三条大橋に着きました!!

若い時から見慣れた大橋ですが、この日見る大橋はちょっと違って見えました。

お江戸日本橋から、約2年半かけ歩いてきて見る三条大橋♬

達成感いっぱいで見ることができました。

三条大橋
三条大橋西のたもとにある、東海道中膝栗毛に出てくる弥次さん・喜多さん像

【歩いてみて】

今日の区間は距離も短く、道路もしっかり整備されているので、問題なく歩けました。(国道沿いは歩道もあります)

逢坂山・日ノ岡峠と二つの峠を越えますが、標高も高くないので、難なく越えることができます。

峠を越えるため、牛馬車のために車石が敷設されていたなんて、初めて知りました。(それまで見なかったですから…)

京都市街に入ると、お店も多くあり、オシャレなカフェもあって♬

さすが観光都市京都!!って感じです。

三条大橋を過ぎて西に進むと、ますます繁華街になり、大変賑わっています。

今日で中山道徒歩の旅は終わりです。

次はどこの街道を歩こうか…

新たな楽しみができました!!

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