街道さんぽ旅 中山道編 10日目 芦田宿〜和田宿 17キロ

中山道編

前回から1ヶ月。夏の盛りも過ぎて、前回のような暑さはなくなりました。今日もとても良い天気♬ 楽しく街道さんぽができそうです!

前回のゴール地点、芦田宿まで佐久平駅からバスで向かいます。夏が過ぎて、社内の飾りも無くなっていました!笑笑

芦田のバス停から西に向かい、次の長久保宿を目指します。しばらく行くと、芦田宿本陣が残っています。とても立派な門構え!芦田宿設置から明治維新まで、土屋氏が代々勤めました。皇女和宮様も江戸へ向かわれる際、ここで昼食を取られたとか。

長野県宝、芦田宿旧本陣

他にも古い家並みが多数残っていて、とても風情があるイイ町です!

芦田宿を過ぎ旧道を歩いていると、綺麗なコスモスが至る所で咲いていました。秋が近づいてますね〜(^^)

そして、次の長久保宿との間に横たわる難所笠取峠へと至ります。

笠取峠の名前の由来は諸説あるようで、①風が強いところで笠が飛ばされてしまう。②ここから見える浅間山の眺望に旅人が皆笠を取って仰ぎ見る。③あまりの登り坂で暑さと疲れのあまり旅人がいつの間にか笠を取っている等の理由でこの名がついたようですね。

笠取峠の手前には、立派な常夜燈が立っていて、その先に男女双体の道祖神が祀られています。

笠取峠には長野県指定天然記念物の松並木があります。

これは、江戸幕府から小諸藩に下附された赤松数百本を植え付けられたもので、峠にかけ2キロにわたっています。樹齢200年以上経つものもあるそうで、当時の景観を見ることができます。

松並木を過ぎると現在の国道に出ます。ここからは峠道頂上まで、国道沿いを登ります。松並木を歩いている時は、日陰もあって歩きやすかったのですが、国道沿いは木陰も少なく暑いです(-。-;

江戸方面から松並木を過ぎたところに立つ小諸藩領界石

途中、割石坂を通り登っていきます。この辺りから妙義山が望めたそうで、芦田宿から笠取峠までを、「三十町の上り」と言います。笠取峠頂上付近にある一里塚を過ぎれば標高887メートルの頂上です。江戸時代は頂上付近に2軒の茶屋が置かれ休息所となっていました。今の場所からは、南へ数メートルズレていたそうで、高さも数メートル高かったとのことです。

峠を下って行くと、「笠取峠立場図版木」があります。江戸期の立場茶屋の様子が描かれています。往時は賑わっていたのでしょうね!今日歩いていたのは私一人だけですが笑笑

坂を下って行くと、中山道原道道標があり、ここから国道を外れ林の中を歩きます。久しぶりの土道。やっぱりイイですね〜♬

気温も下がりますし、足に負担がない♬静かだし雰囲気も最高です!!

一度国道に出て、しばらく進んで旧道に入り、松尾神社の境内を通って長久保宿に入っていきます。神社を境内が街道になっているとは!!

大宮宿で、氷川神社の参道が古中山道のルートになっていましたが…

松尾神社の鳥居を出て長久保宿方向を眺む

長久保宿は、現在の宿場より西側依田川沿いに設けられていたのが、大洪水で流出したため現在の地に移されたそうです。笠取峠・和田峠の難所を控え、大門道や北国街道に通じる交通の要衝として、江戸期には大変賑わっていました。

今は、幹線道路から外れ静かな佇まいになっています。

当初は、「長窪宿」が正式名称で、幕末に宿名変更願が出されて「長久保宿」になりました。

街並みは、初め東西に伸びる「竪町」だけであったのが、発展にともなってL字型に曲がって「横町」が形成されました。これは今も町の真ん中でL字になって町が続いていました。

ここでも往時の建物が多く残っていて、街道情緒を漂わせています。

宿に入ってすぐにあった長久保宿歴史資料館でしばし休憩♬

ここは、明治初期に旅籠として建てられたものが、資料館になっていて、中には、宿場の歴史・民族資料の展示公開がされています。

長久保宿歴史資料館
長久保宿歴史資料館内部の展示物

往時の生活を知ることができます。無料で見学もできますので、近くにお越しの際は、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょう!!

でも。公共交通機関で行かれる際はご注意を!!ここ長久保宿と次の和田宿は、中山道全行程の中でも不便な場所です。近くを鉄道は走っていませんし、最寄り駅までバスで1時間近くかかります。バスの本数も少ないです。

次回和田宿から下諏訪宿までの間は、最も難所と言われる和田峠を越えていかなくてはなりません。

よって、次回は前泊すべく、長久保宿にある旅館「濱田屋旅館」さんに立ち寄り、おかみさんからお話を伺い、後日電話する旨を伝え、名刺を戴きました。

長久保宿のL字を曲がり、桝形を抜けると、長久保宿の西の入口に出ます。

ここから先は、しばらく国道沿いを歩きます。

長久保宿西側入口

四泊の一里塚から国道を少しの区間外れますが、すぐにまた国道に合流。大和橋の交差点を左方向に進み、一本目の橋を渡ります。そのまま直進すれば、「大門道」です。大門道は、武田信玄が信州攻略に作った軍用道路で、現在は国道となり、諏訪方面に抜けることができます。

天気は良いし、与田川を流れる水は綺麗だし♬ホントいい景色でした。

国道を渡り、旧道を進んで、和田宿を目指します。

少し進んだところにバス停があるのですが…オシャレなバス停!!こんなバス停初めて見ました!!笑笑

その先にはミミズの双体道祖神が祀られています!!これも初めて見ました!!

長い一本道の旧道なのですが、道の両側にはいろいろ見るものがありました。一里塚を過ぎて、しばらく行くと、いよいよ今日のゴール和田宿です。「是より和田宿」と書かれた大きな石の碑が立っています。

広重が描いた和田宿の絵はこんな感じ♬

江戸方向から、雪を被った和田峠を進んで行く旅人が描かれています。昔の旅人は、今と違って舗装されていない道を、草鞋姿で峠を越えて行くんですよね!!防寒具も備わっていないのに…その大変さが分かります。

広重が描いた和田

石碑を過ぎれば和田宿です。すぐに中学校・小学校がありました。広い校庭と懐かしい校舎♬子供の頃を思い出します。

今は、静かな佇まいの和田宿も長久保宿と同様、難所の和田峠を控え、賑かな宿場でした。次の下諏訪宿まで、峠を越えて約22キロの距離。荷物をは運ぶための伝馬役も多かったそうです。

追川を渡ると、国の指定史跡「かわちや」があります。大火で消失し、再建された物ですが、江戸期の旅籠建築の様式で建てられています。今は「歴史の道資料館」として往時の様子を今に伝えています。

かわちや

この辺りの街道風景も、とても良いものでした。古い建物が、道の両側に建ち、幹線道路から外れているので、車の往来も少なく、往時の旅人になった気分です!

江戸方向を振り返り見る

そして、今日のゴール地点、和田宿本陣跡に到着です。幕末の大火でここも全焼したそうですが、皇女和宮様降嫁の宿泊地として急遽再建され、今は居室棟が残っています。

和田宿本陣御入門

今日も、無事にゴールができました!!前回のような暑さはありませんでしたが、ミンミン蝉が鳴いていました。そうかと思うと、秋の虫の音が聞こえてきたり♬

夏と秋が同居していた一日でした。

この後、近くの道の駅で休息後、これまた近くの日帰り温泉でひとっ風呂浴びて、帰路につきました。

歩いた後の、温泉も旅の楽しみの一つです!!(^^)

次回は、最大難所和田峠を越えて下諏訪宿までの約22キロ。ずーっと山歩き。準備をしっかりして挑みたいと思います。

道の駅
温泉までの道中

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