街道さんぽ旅 中山道編 6日目 安中宿〜横川駅 23キロ

中山道編

初夏の季節が近づいてきて暖かくなりました。

前回終了の安中駅に降り立ちスタートします。

前回同様、緩やかに登りながら、国道18号線に架かる久芳橋を渡り安中市街に入って行きます。橋の上からは妙義山がだいぶ近くに見えてきました。

安中宿は板鼻宿と比べ小さな宿場町で、戦国時代城下町として整備され、大変重要の場所であったようです。江戸時代には、徳川家の重臣井伊家の所領となり、藩庁が置かれ、1615年中山道の宿場町として整備されました。幕末には、藩士の心身を鍛えるために始められた「安政遠足」(あんせいとおあし)が映画「サムライマラソン」のモデルになっています。

安政遠足は、安中城門から碓氷峠の熊野権現神社までの徒歩競争。総距離30キロ標高差は1000メートル以上ありました。これが、日本のマラソンの発祥と言われています。

本陣跡は安中郵便局の敷地内に石碑が建っていて、うっかりするとスルーしてしまいそうな場所にあります。

街道から一本奥に入ったところに、旧碓氷郡役所跡・安中教会・旧安中藩郡奉行役宅・旧安中藩武家長屋等見どころがありました。

残念ながら、訪れた時間が早かったため、中の見学はできませんでしたが…

旧碓氷郡役所跡
安中教会
旧安中藩郡奉行役宅
旧安中藩武家長屋

町には、安政遠足やサムライマラソンののぼり旗が町の至るところに掲げられています。

国道18号線を渡って進んで行くと、安中原市の杉並木が出てきます。

かつては何百本の杉並木であったそうですが、現在はそんなに沢山残っていません。しかし、天然記念物として保存されています。

杉並木を歩いていると、給水塔に安政遠足の大きな絵が描かれていました。

原市村戸長役場跡、原市高札場と明治天皇小休所碑、立場茶屋跡等、古い家並みや歴史を感じさせてくれる建物や石碑が続き、昔の雰囲気を残す緩い登り坂を登って行きます。国道18号線に合流した地点に、妙義道道標と常夜燈が建っています。1808年の建てられ、当時は妙義山への深い信仰があったそうで、妙義神社への参拝者のために建てられたそうです。

ここから少し歩けば次の松井田宿です。中山道を行く旅人は、碓氷峠を控えて、関所を日のあるうちに越えておきたいという人が多かったようで、あまり松井田宿を利用しなかったそうですが、妙義神社や榛名神社に通じる参道と交わっていたため、参拝者の人達は松井田宿を利用していました。また、信州各藩から集まる年貢米の中継地点となっていたそうで、半分が松井田の米商人が換金し、残り半分を倉賀野から舟で江戸に運ばれていたのだとか。そのため「米宿」とも呼ばれ商業が盛んで大いに栄えました。

ここまで来ますと、妙義山が近くに聳え立ち、その姿は圧巻でした!!

松井田宿を過ぎ、上信越道の高架を潜って進んで行くと、五料村の高札場跡があり、その先に「五料の茶屋本陣」があります。これは、江戸時代五料村の名主を務めた中島家の屋敷で、参勤交代で往来する大名や公家の休憩所として利用されたそうです。「お西」と「お東」の2つの建物が並び本陣として営んでいて、1836年から明治にかけて1年交代で茶屋本陣を務めていました。

両方の建物とも1803年に建築されたもので、群馬県の指定史跡に指定されて保存されていて、「お西」は白壁作りの屋敷構え、「お東」は土壁作りの屋敷構えをしています。

五料茶屋本陣「お東」
五料茶屋本陣「お西」

さらに進むと峠の頂上付近に、首を取られて夜な夜な泣いていたという「夜泣地蔵」と「茶釜石」があります。

国道18号線に合流したり旧道を歩いたりしながら、今日のゴール横川駅に到着しました。横川駅前には、有名な「峠の釜飯」荻野屋があります。

JR信越線が横川駅と軽井沢駅が繫っていた頃、この横川駅は大きな駅で、ここから先の碓氷峠があまりに急なので通常の列車では越せないことから、特別の機関車を2両繋いで碓氷峠を越え、軽井沢駅まで走っていました。

その際の停車時間を利用して駅弁が売られ、「峠の釜飯」は名物だったそうです。

私も、名前は聞いたことがありましたが、食べたことは無く、峠の釜飯で昼食を取ることにしました。

お昼時間を過ぎていたこともあり、お店は空いていて、注文した釜飯を待っていると…

ジャーン!!!

美味しそう!!

そして絶品でした!!あっという間に平らげてしまいました笑笑

次回はいよいよ中山道最大級の難所碓氷峠越えです。

関東平野を抜け長野県に入って行きます!!

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