街道さんぽ旅 中山道編 1日目 日本橋〜北浦和 26キロ

中山道編

2019年1月11日、6:45まだ薄暗い寒い朝、お江戸日本橋に立ちました。

北国街道を歩き終えて1年と3か月が過ぎ、久しぶりの街道ウォーク。楽しみと不安な気持ちが入り混じってます。

これから京都三条大橋までの長い旅が始まります。

東海道と違い、数々の峠を越えるルート。

難所もたくさんあると思いますが、北国街道を歩いた経験を頼りに越えて行きたい。

そして、京都到着の時の達成感を味わってみたいと思います。

日本橋は、五街道の起点であり、今も「道路元標」の表示があります。

因みに江戸時代、英泉が描いた日本橋はというと…

中山道と東海道はスタートとゴールが同じ地点なのですが、全く反対方向に歩き始めます…

何か変な感じ…

ホントに京都まで行けるのかな…

そんな気持ちでスタートしました。

今川橋、万世橋を通り神田明神前に出ます。まだ1月の初めなので初詣の時期。

参拝してから先に進みました。

大通りから少し外れたところに、「旧中山道」の小さな案内表示が!この旅初めての中山道の表示!

嬉しい感じ(^^)

さらに進むと、東大の赤門前を通ります。

赤門は旧加賀藩の表御門。初めて生で見ました!

東大が中山道沿いにある事もこの日の発見の一つです!

坂を下り、巣鴨方面へ。

東京って歩いてみてわかりましたが、坂が多いんです。

小さなアップダウンが結構あります。

巣鴨ではテレビで観た「巣鴨地蔵通商店街」を抜けて板橋方面に向かいます。

板橋宿は江戸から約8キロの地点にある最初の宿場町。

江戸四宿の一つで、大層な賑わいだったようです。上宿・仲宿・下宿があり、名前の由来である「板橋」がありました。

今も商店街になっていて、賑わっていました。

板橋宿の先に、大きな一里塚が残っていました。

志村一里塚です。

一里塚は、街道沿いに一里(4キロ)ごとに築かせたものです。

中山道で最初に残っている一里塚でした。

志村の一里塚は左右一対で残っています。

東京で左右一対残っているのは凄い!

志村の一里塚の先に進むと、富士•大山道の道標と庚申塔がありました。

清水坂を下り終えて、しばらく進むと荒川に出ます。

昔は荒川を渡し舟で渡っていましたが、今は戸田橋が架かっており、橋を渡って進みます。

戸田橋から富士山が見えました。

そして、長い戸田橋を渡り切ると埼玉県に入り、蕨宿へと入っていきます。

旧中山道は、現在の国道17号線から少し外れていて、昔の面影を残しています。本陣跡も残っていて、宿泊した大名や公家の名前が残っていました。

蕨宿から今日のゴール地点にしていた浦和宿までは、約一里(4キロ)の道のりです。

一里塚跡の石碑を眺めて歩き、焼米坂を越えると浦和宿!

浦和宿を少し超えた北浦和駅で今日のゴールとしました。

北国街道踏破から1年3か月ぶりの街道ウォーク。

久しぶりに旅の楽しさを思い出せて、これからが楽しみです。

でも…久しぶりの長距離ウォーキングだったので、足にマメができてしまいました…

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