街道さんぽ 中山道編 20日目 鵜沼宿〜美江寺宿 26キロ

中山道編

訪れる宿場町…加納宿・河渡宿・美江寺宿

5月も半ば♬

初夏の季節ですが、今日はあいにくの曇り空です☁️

今日もJRと名鉄線を乗り継いで、前回のゴール鵜沼宿駅へとやって来ました。

駅から中山道までは約1キロ。

今日のゴール地点「美江寺宿」へ向けてスタートします。

しばらく行くと、鵜沼宿の「西の見附」の案内板がありました。

後ろには犬山城が見えています。

西の見附を過ぎてすぐに、円墳としては岐阜県下最大の「衣装塚古墳」がありました。

4世紀末〜5世紀前半に築造されたと考えられており、元々は前方後円墳であったのではないかとも言われています。

しばらく行くと、国道に出て、ここから国道沿いに進みます。

山の前の一里塚跡、JR各務原駅前を通りどんどん進みます。

国道沿いですから、コンビニやお店もたくさんあり、買い物や食事、トイレに困ることはないです。(その分特に見どころがない道となりますが…)

約1時間国道沿いを歩くと、「三柿野町交差点」から脇道に入り、各務原市街地へと入って行きます。

各務原の中心部に大きな公園、各務原市民公園があります。

岐阜大学の跡地に作られた公園は、広大な敷地で、緑がいっぱい!!

トイレもあり、しばしの休憩にはもってこいの場所です!!

各務原市街地を抜けて進んで行くと、「新加納立場」です。

ここは、鵜沼宿と加納宿の中間辺りに位置し、宿場間が17キロと長いことから、「立場(休憩所)」として栄えた場所です。

新加納は、静かな街並みで、昔の雰囲気が残っていました。

今日の道程は、市街地を通ることが多かったので、ホッと一息♬って感じです😄

桝形になっている所に、古い道標があり、往時の旅人の道しるべが残っていました。

新加納の間の宿を過ぎると、しばらく田んぼや畑、住宅街を抜けて、加納宿へと入って行きますが、途中、「細畑の一里塚」や伊勢道との追分を通ります。

細畑の一里塚は一対で残っています。

伊勢道との追分道標
伊勢道追分。右が中山道

追分を直進し、名鉄の踏切を過ぎた所に、可能宿の石碑が立っています。

加納宿は城下町でした。

6ヶ所の桝形があり、防備を重要視した作りとなっています。

金華山が近くに聳え、斎藤道三や織田信長ゆかりの岐阜城を見ることもできます。

現在も岐阜市の中心部でとして栄えています。

岐阜市の中心部ですから、お店もたくさんあるのですが、旧中山道沿いにはあまりありません。

丁度昼食の時間でもあったので、店を探しながら歩いていたのですが、結局加納宿内では摂れず、先に進みました。

実際歩いて、至る所に道標や石碑、案内板が立っていて、折れ曲がった道を迷うことはありませんでした。

加納宿を抜けて、次の河渡宿までは約6キロ♬

この間は住宅街を歩きます。

長良川に出る手前に、「鏡島湊」があったことを紹介する板が立っています。

昔は長良川の水運を利用し物資を運んでいて、江戸時代は大変賑わっていたそうです。

昔は橋も無かったので、中山道を行く旅人は渡船で長良川を渡っていましたが、現在は、河渡橋があって、難なく渡れます。

橋の上から、鈴鹿山脈が見えました!!

お江戸日本橋から、中山道を歩いてきて、鈴鹿山脈を見た時は、「ここまで来たか〜!!」と感傷的になってしまいました笑笑。

遠くに鈴鹿山脈の山並み

長良川を渡って左に折れてすぐの所に、河渡宿があります。

昔は、長良川の増水で川止めになった時に、旅人が滞留して賑わったそうですが、洪水と背中合わせで、逆に洪水に見舞われ、宿場の存続危機も招いたそうです。

今は残念ながら、宿場の名残りは残っていません。

私も、なんとなく通過してしまった感じでした。

次の美江寺宿までは、約4キロの道のりを住宅街の中を進みます。

途中、旧家を残している地域もあって、往時のの雰囲気が残っています。だ

代官所跡、高札場跡を通り、田んぼの中の一本道を進んで、樽見鉄道の踏切を渡れば美江寺宿到着です。

代官所跡

美江寺宿も小さな宿場町♬

美江寺宿内を通るのは次回として、樽見線美江寺駅に向かい帰路に着きました。

途中、日帰り温泉に立ち寄り、お楽しみの風呂に浸かって帰りました!笑笑

今回の旅は、市街地を通り、住宅街を通りで26キロの距離を歩きましたが、比較的楽に歩くことが出来ました。

加納宿までは、お店も多く、補給には困りません。

加納宿を過ぎると、住宅街になり、主要道路からも外れているので、コンビニも多くありません。

加納宿までに、買い物をすることをお勧めします。

次回は、美江寺宿から関ヶ原宿までの旅です。

樽見線の踏切を渡ってすぐに立っている道標
樽見線車両

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