この日も快晴で風も無く穏やかな日となりました。
高崎宿は三国街道と信州街道の分岐にあたり「お江戸見たけりゃ高崎田町」とうたわれるくらい、賑わいのある宿場町。商業が盛んな城下町でした。
また、城下町であるため、諸大名が城下を敬遠したため、本陣や脇本陣はありませんでした。
高崎城址は櫓やお堀も残っています。都会の中にあって昔を偲ばせる空間です。
町には、鍛冶町・新町・鞘町など城下町ならではの町名、店蔵なども残っています。
町中を進んで行くと、前橋道の追分を過ぎたところに、明治15年に建てられた旧山源漆器店の店蔵があり、高崎市景観重要建造物に指定されています。
また、三国街道との追分を過ぎその先には、1857年創業の茶業「茶舗水村園」があったり、明治30年に開業した、岡直三郎商店の支店が、創業当時のまま使用されているそうです。
そんな歴史を感じさせてくれる街中を進んで行くと、国道18号線にぶつかります。東京からここまでは、国道17号線に沿った旧道を歩いてきましたが、ここから、長野県の岩村田宿辺りまでは、国道18号線とのお付き合いになります。
烏川の君が代橋を渡ります。この名前は、明治天皇行幸記念で命名されたそうです。橋の上から、赤城山・椎名山の山々が美しく見えました。
橋を渡り、国道18号線から右に外れて旧道はあります。進んで行くと、信州街道との分去れの地点に自然石の道標が建っていました。風化してしまって読めないのですが、後で調べて見ると、「右 はるなみち、くさつみち」と書いてあるとのことです。
いや〜!!ここまでの道のりでも、風化した道標を目にしてきましたが、いかに中山道が歴史ある道なのか…感動してしまします!!
この分去れを左に進んでいくのが中山道です。
国道18号線に再度合流し、今度は碓氷川の川沿いを進んで行きます。
河川敷沿いの道の横には国道18号線が並行に走っていて、交通量は非常に多いです。
川沿いを歩いて行くと、群馬県下で現存する唯一の一里塚、藤原の一里塚が残っていて、樹齢200年以上の榎が塚木だそうです。
その先に一本の桜の木が!綺麗な花を咲かせていました!!
そして次の宿場町、板鼻宿に入って行きます。
板鼻宿は、碓氷川の渡しを控え、堅苦しい城下町の高崎宿を避けたい旅人で賑わったそうで、上州七宿最大規模の宿場町であったそうですが、今は静かな佇まいです。
宿場の入口付近には、「双体道祖神」が祀られており、1792年のものとのこと!台座に、京や江戸、日光、善光寺等までの道のりが書かれているいましたが、京都まで、107里3丁(約420キロ)…
京都までは程遠い…
板鼻宿中心部にある「板鼻堰用水」は今も昔と変わらず綺麗が流れていました。
板鼻宿を抜けて、再び碓氷川を渡り安中宿に向かいます。だんだんと妙義山が近づいてきました!!
1802年建立の道標を過ぎると間もなくJR安中駅です。
安中宿はもう少し進んだ所が中心部なのですが、帰宅する交通機関の関係もあり、今日はここまでとしました。
高崎宿を過ぎた辺りから、やはり少しずつ登りになってきました!
碓氷峠の入口にあたる坂本宿まで、こんな感じで少しづつ登って行くのだろうと思います。
そこまでまだ25キロぐらいありますが…
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