【武蔵国へ♬】街道さんぽ 東海道編 藤沢宿から神奈川宿 26キロ

東海道編

前日の39キロに引き続き、今日は神奈川宿まで歩く予定です。

快晴に恵まれ、いざスタート!!

2023年12月

【道のり】

①藤沢宿〜戸塚宿

前日は平塚で一泊。

この日は大阪に戻ることも考え、朝暗いうちに電車に乗って藤沢に戻り、歩き始めました。

藤沢宿も道路に面した所に本陣跡や問屋場跡、高札場跡など往時の様子が描かれた案内表示が立っています。

遊行寺橋の袂には、江ノ島弁財天への道標が残されていて、ここから江ノ島へ向かっていたようです。

藤沢宿をもっと知りたい方は「ふじさわ宿交流館」に寄ってみてはいかがでしょう😊

藤沢宿の紹介 | ふじさわ宿交流館
藤沢市ふじさわ宿交流館は、旧東海道藤沢宿の歴史,文化等と触れ合う場を提供するとともに,地域の人及び当地を訪れる人の交流の推進を図ることにより,市民の文化の振興に寄与し,旧東海道藤沢宿及びその周辺地域の活性化及びにぎわいの創出に資するための施設です。

遊行寺橋を渡って復元された高札場を通って進むと、遊行寺坂に出ました。

結構長くてキツい上り坂💦

途中、江戸見附跡や一里塚跡の案内表示を見ながら坂を登っていきます。

坂を登り切ると昔は松並木が広がっていたことを偲ばせる松並木跡の碑がありその名残もありますよ♬

松並木跡碑

いい雰囲気の住宅街の間を東海道は続いています。

そして…

横浜市に入りました!!

国道1号線バイパスに合流し東へ東へ。

龍長院参道口には、不動明王像が立っています。

原宿の一里塚を過ぎると、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」にちなんだ碑、お軽勘平平戸塚山中同行の碑がありました。

逃避行の場で勘平がお軽をいたわる場面で有名ですが、昔はこの辺りは山中だったんですね!!

今は国道に車がビュンビュン走って、周りは住宅街になっていて…

唯一、ここから先江戸方面は長い下り坂になっているので、なんとなく地形で感じることはできましたが…

大坂の碑を過ぎれば戸塚宿上方見附です。

見附を過ぎれば戸塚宿です😊

本陣跡や脇本陣跡には案内板が立っていますが、建物などは残っていません。

JRに架かる陸橋を渡って江戸見附跡まで約2キロの間が戸塚宿♬

日本橋まであと約42キロです!!

広重が描いた戸塚宿
旧東海道戸塚宿

②戸塚宿〜保土ヶ谷宿

次の保土ヶ谷宿までは約9キロ♬

国道沿いや住宅街を歩いて品濃一里塚までやってきました。

周りは静かな住宅街。

その中にこんもり小山のような形で一里塚が残っています。

この塚は両塚を残している東海道では数少ない塚で、神奈川県の指定史跡にもなっています。

品濃の一里塚を過ぎると下り坂。

下り切ると今度は登り返しの上り坂…

この上りが急です💦

焼餅坂と名がついた坂道。往時は名物の焼餅を売っていた茶屋が多くその名がついたそうです。

焼餅坂を登り切ったところが…

相模国と武蔵国の国境!!

国境の木が立っています。

とうとう東海道中最後の国、武蔵国までやってきました!!

武蔵国に入って、住宅街を歩いていると、長い長い下り坂に差し掛かります。

そこから遠くに見える富士山が絶景!!

ついこないだまで、富士山が近くに見えていたのに…

こんな遠くになってしまいました!!

この長い長い坂道、権太坂と言います。

江戸方向から来た時の最初の難所だったそうです!

名前の由来は諸説あるようで、そのうちの一つが、昔旅人に坂の名を聞かれたお年寄りが、自分の名を聞かれたと思い、「ごんたでございます」と答えたことから、その名がついたとも…

なかなかユニークなエピソードです!!😆

権太坂を下り国道に合流、しばらく行ったところに一里塚跡と保土ヶ谷宿上方見附があり、保土ヶ谷宿到着です😊

国道沿いに本陣跡、脇本陣跡の案内板が立っていますが、旅籠跡は遺構を残しています。

旅籠屋跡

旅籠跡の前は国道が走り、多くの車が行き交っています。

周りは往時を偲ばせるものは何もなく…

そんな中ポツンと古い建物が残っていて…

そこだけタイムスリップした感じ!

本陣跡も門が残り、往時を偲ばせてくれます。

本陣跡近く交差点で、国道から外れてJRの踏切を渡ると、道標が4基。

ここは金沢浦賀への追分♬

金沢横丁と呼ばれていた場所です。

旧帷子橋跡を通って、江戸方見附までが保土ヶ谷宿です♬

旧帷子橋跡
保土ケ谷宿の成り立ちと特色

昔は宿場内を過ぎれば田畑が広がっていたのでしょうが、現在は江戸方見附を過ぎても多くの人々が行き交っています。

ここから先は松原商店街。

この商店街に差し掛かった時に思い出したのが、京都の伏見宿♬

伏見にも商店街が続いていて😊

それを考えると遠くまで歩いてきました😆

③保土ヶ谷宿〜神奈川宿

保土ヶ谷宿から神奈川宿までは約5キロの道のり。

最初は住宅街を歩いていたのですが、だんだん都会の雰囲気に変わってきました。

横浜が近い!!って感じです!!

一旦大通りに出て、首都高速の高架を潜ると、再び住宅街を進みます。

上台橋が神奈川宿の京側の入口。

ここからまた長い坂道です💦

坂の手前が上台橋

坂を登り切ったところに、神奈川台関門跡があります。

ここは幕末、横浜が開港されると、攘夷を唱える武士たちによる外国人殺傷事件が多発。

各国領事から非難された幕府が関門を設け、見張り役を配置した場所です。

関門を過ぎれば、今度は下り坂。

坂の途中に、神奈川宿が賑わった当時から続く料亭「田中屋」があります。

ここの前身「さくらや」は安藤広重の東海道五三次にも描かれていて、坂本龍馬の妻 「おりょう」が勝海舟の紹介で働いていたとか!!

龍馬とおりょうの結婚式があった場所は中山道を歩いた時、京都三条大橋の近くに石碑が建っていました😊

田中屋

坂を下り切って、線路を渡ると、国道に合流。

国道沿いに本陣跡の案内板を見ながら、今日のゴール地点JR東神奈川駅へ♬

今日はここでおしまい😊

約26キロ、7時間の旅でした😊

神奈川宿歴史の道

【歩いてみて】

今日も遊行寺坂から始まり、大坂・焼餅坂・権太坂などなど…

アップダウンが多かったです💦

横浜近郊の神奈川宿に近づくにつれ、都会になってきました。

案内板も随所に立てられ、見どころが多い道のりでした😊

特に神奈川宿に入ると横浜開港の幕末にまつわる石碑が多くなったように感じます。

幕末あたりまでは、海が神奈川宿近くまで広がり大変賑わっていたそうで、横浜は寂れた漁港だったとか…

今は神奈川宿から海は見えず、横浜は大都会に発展していて、逆転現象が起こっています。

次回はいよいよ日本橋までの道のり。

この区間も往時は海に沿って東海道が続いていたそうですが…

多分、海は見えないでしょう😆

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