【天竜川を渡って見附宿へ】街道さんぽ 東海道編 舞坂宿〜見附宿 28.1キロ その2 見附宿まで

東海道編

浜松宿で浜松城や浜松八幡宮、徳川秀忠誕生の井戸に寄り道し、東海道に戻ってきました。

今日のゴール見附宿まであと約13キロ。

【道のり】

東海道を東に進みます。

時間は午後1時を過ぎていたのでランチをするお店を探しながら😊

東海道からは地方へ伸びる街道があちこちで分岐をしています。

旧掛塚街道の入口や旧笠井街道の入口であった標柱を見ながら進んでいくと…

ファミレスの大きな看板が目に入りました。

「今日はファミレスでランチにするか…」と思って近づいて行くと、隣にインドカレーのお店が…

「えーっ!!インドカレー屋さん!!」

前回も新居宿近くのインドカレーのお店でランチを食べたのですが、今回もランチ時間にインドカレー屋さんが目の前に!!

カレーに付いてくるナンが頭をよぎり…

今回もカレー屋さんに足が向いてしまいました😆

セットメニューでカレーと大きなナンをいただきエネルギー充填!!

再び歩き始めます。

浜松宿からも真っ直ぐな直線の道が安間一里塚跡まで続きます。

安間一里塚跡の先には本坂通(姫街道)安間起点の案内板が。

ここを起点に御油宿まで姫街道が伸びていたようです。

さらにしばらく歩くと天龍川の土手に出ました。

土手の手前には旧東海道の案内板が立っています。

そこが旧東海道で江戸からも京都からも60里であり、ちょうど真ん中であったことから「中野町」と名付けられたとも…

旧東海道も半分までやってきました!!

日本橋まであと60里ってことは…約240キロ!!

やっと半分ですねー😆

土手に上がると天竜川です。

いやー大きい!!

江戸時代は江戸防衛のため橋は掛けられず、舟渡しだった川です。

大雨が降ると川止めとなり、多くの人が足止めされたそうです。

橋は明治になって明治天皇が通られる際に舟を並べ、板を敷いた仮設の舟橋が掛けられ、その後木橋が掛けられたとのこと。

今では天竜川橋とすぐ隣に新天竜川橋がかかっています。

天竜川
左が新天竜川橋、右が天竜川橋

天竜川橋には歩道がありません。

新天竜川橋にある歩道を使って天竜川を渡ります。

長い!!

ホント大きな川です!!

川を渡り終えるまで10分46秒でした😳

天竜川を渡ってしばらく進むと長森立場跡があります。

立場とは宿場の間に設けられた休憩所のことで、長森立場の近くには、「長森かうやく」というあかぎれや切り傷に効いた膏薬が土産物として人気があったそうです。

長森立場跡から先はまた真っ直ぐに伸びる道。

宮之一色一里塚を過ぎて見附宿に入って行きます。

今日はJR磐田駅近くのホテルで一泊です。

今日はここまで。

見附宿の中心部は明日歩くことにして宿に入りました♬

いや〜😆

今日はよく歩きました〜😆😆

【見どころ】

①浜松城

若き日の徳川家康が建てた浜松城。

旧東海道から北に位置した場所にあります。

往時の石垣の上に天守閣が再現されていて、ぐるりと見渡せ、高いビルも無かった往時は遠くの敵も容易に見つけることができたと思います。

今は、浜松城公園として整備され、多くの人が訪れていました。

徳川300年の歴史を刻む出世城。浜松城
徳川家康が17年間在城した浜松城は、江戸幕府300年の原点となった出世城。若き日の家康と城下町の資料を多数展示しています。

②鎧掛松

浜松市役所の西、浜松城公園入口にあります。

家康が三方ヶ原の戦いで武田軍に敗れ逃げ帰った時に、この松に鎧をかけたという言い伝えがある松の木です。

ご指定のページは見つかりませんでした/浜松市

③雲立楠(浜松八幡宮内)

三方ヶ原の戦いで敗れた家康が、武田方の追っ手を、この楠の木の洞穴に身を潜め難を逃れたと伝わっています。

浜松八幡宮の御神木です。

御神木『雲立楠』|浜松八幡宮

【歩いてみて】

今回は28キロを8時間かけて歩きました。

浜松城など見学のため寄り道が多くなり、距離が長くなってしまいました😆

道は平坦、真っ直ぐに伸びる道です。

飲食店やコンビニも随所にあり、補給や休憩に困ることはありません。

旧東海道を歩いているのだろうと思われる人々にも数多く出会いました!

中には背中に幟(のぼり)を立てて歩いている方も😊

徳川家康ゆかりの浜松城や雲立楠や徳川秀忠誕生の井戸、それに奥州藤原氏の藤原秀衡ゆかりの二つ御堂などなど…

歴史上の人物にまつわる場所がたくさんあって、あっちキョロキョロ、こっちキョロキョロとした旅でした😆

旧東海道も残り半分!!

もう半分という気持ちとまだ半分という気持ちが交差しています😆

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