街道さんぽ旅 中山道編 12日目 下諏訪宿〜洗馬宿 19キロ

中山道編

2019年の師走。前回のゴール地点、下諏訪宿がある下諏訪駅に降り立ち、中山道の旅12日目をスタートしました。今日も快晴でのスタート。さすが長野県!!寒いです!!

スタートしてすぐに、「魁塚(相楽塚)」があります。幕末、官軍の先鋒として、維新の魁となった赤報隊が、年貢半減を掲げて東へ進んでいた所、新政府軍から偽官軍の汚名を着せられ、隊長の相楽総三以下8名が斬首の刑に処せられた地です。後に、名誉回復が成されています。

人気アニメ「るろうに剣心」に出てくる相楽左之助は赤報隊出身。隊長、相楽総三の苗字を取って相楽を名乗っているのです!!(実は…るろうに剣心の大ファンなんです笑笑)

お参りをして先に進みました。

しばらく行くと道祖神が祀られていましたが、御柱が4本立っていました。やはり、諏訪大社の御柱に因んでなんでしょうか。

さらに進むと、中山道は民家の間に入ります。え〜っ!!ここが中山道なんですか!(◎_◎;)

民家の間を抜ける

富士見橋を渡り、住宅街を抜けて進むと、立派な道標が立っていました。ここは、飯田方面に向かう道との追分地点。1791年建立だそうです!!かれこれ230年前からあるんですね!!

東堀一里塚跡を通り、今井集落に入って行きます。塩尻峠の登り口で、古来より交通の要衝のため、江戸時代には、御小休本陣が置かれていました。明治天皇もここで、ご休憩を取られています。この辺りから緩やかに登って行く雰囲気ある道となります。

登りがだんだんキツくなってきました。大きな中山道の道標があります。

今日の難所塩尻峠が近づいてきました。江戸初期の中山道は、下諏訪から小野峠に入り牛首峠を越えて桜塚に抜けるという別ルートであったそうです。その後、塩尻峠を越えるルートに変更され、新たに塩尻宿・洗馬宿・本山宿が作られたとか。

この時点では、前回和田峠を越えて来た自信から、塩尻峠を舐めていました…国道を跨ぎ、舗装された道を峠へ進んで行きます。振り返ると標高が高くなってきて、景色がとても綺麗です!!

諏訪湖を臨む

諏訪七不思議の一つ「大岩」を過ぎると、一段と坂が急になってきました💦

この塩尻峠、直線の急登が続きます(-。-;

メチャメチャキツい…標高は和田峠よりも低くて、距離も短いのですが傾斜がキツいのです…完全に舐めてました(塩尻峠ゴメンナサイ…)

傾斜がキツい下諏訪側からの塩尻峠登り

やっとの思いで頂上に到着(-。-;

頂上には公園があり、展望台が設置されていましたが、登って景色をを眺めると、絶景でした!!

塩尻峠からの絶景

諏訪湖を真ん中に、左に八ヶ岳・右には南アルプス・その先に富士山まで見ることが出来ました。反対には北アルプスの山々やこれから進む中央アルプスと、どの方角も素晴らしい!!休憩を取りながら、しばし眺めていました。

英泉が描いた諏訪湖

英泉も冬の諏訪湖を描いています。氷った湖の上を人馬が行き交い、「諏訪の浮城」と言われた諏訪高島城も描かれていますね。

絶景を堪能した後、塩尻宿へと峠を下ります。どちらかと言うと、塩尻側の方が斜面が緩やかでしょうか。

皇女和宮様も休息された上条茶屋本陣跡を過ぎ、1基が残る東山の一里塚を通って集落に出ます。

長閑な街道筋
雪を冠った山々

綺麗な景色を眺めながら、塩尻宿に入りました。

中山道のルート変更によって新たに作られた塩尻宿は、松本を経由して善光寺に至る善光寺西街道、岡崎に至る三州街道、糸魚川街道が交わる交通の要衝で大変賑わっていた宿場町です。旅籠数では、中山道二番目に多かったとか。今は、2度の大火の影響で、面影は殆ど残っていません。

しかし、昔はここに何があったのかを示す石標が多く立っています。

塩尻という名前がついたのは、日本海側と太平洋側からそれぞれ塩が運ばれてくると、この辺りで両者が合流する事から、塩の道の終点=塩尻になったとの説があります。なかなか面白いですね!!(^^)

塩尻宿本陣跡
1850年建築(国重要文化財)小野家住宅

善光寺西街道(松本街道)との追分から先は、JRのガードを潜りひたすら真っ直ぐな直線道路です。

今までの経験から、このような道は辛い💦

先が見えすぎる分だけ、歩いても歩いても進んだ気になりません。道が曲がっている方が、歩く目標も作りやすいんですよね〜!!

それでも進んで行くと、立派な一里塚が残っていました。平出の一里塚です。ここは両塚が残っています。江戸時代には茶屋が2軒あったそうです。

平出の一里塚

一里塚の近くには、平出遺跡があります。

日本三大遺跡に数えられる大きな遺跡です。ここは、縄文時代から平安時代までの長きに渡って人々が生活していたそうで、住居跡や遺物が数多く出土しています。また、古墳時代の竪穴式住居が復元されています。

この辺りはぶどう畑が道の両側に広がっています。塩尻はワインの産地としても有名ですよね。

JRの踏切を渡りしばらく行くと、やっと国道19号線にぶつかり、左に曲がり進みます。国道沿いに進み、国道を右に折れると洗馬(せば)宿に入って行きます。

洗馬宿も、中山道のルート変更に伴い設けられた宿場で、中山道と北国脇往還善光寺道との分岐点です。また、街道を通行する伝馬の荷物の重量を検査するため、「貫目改所」が置かれていました。

洗馬という名前の由来は、木曽義仲の家臣が義仲の馬の足を近くの清水で洗い癒した事からとの言い伝えがあります。

洗馬宿に入ってすぐに、肱懸松(ひじかけまつ)があります。ここは戦国武将、細川幽斎が赤松の名木に、自ら松に肘を懸けて歌を詠んだと伝えられています。

肱懸松

ここを過ぎると、桝形になった道を下り、善光寺西街道との追分になっていて、1857年建立の立派な分去れ常夜燈が今も残っています。

左が善光寺西街道、右が中山道

ここを右に曲がり、今日のゴール洗馬駅に向かいます。途中、義仲の馬の足を洗った「あふたの清水」がありました。

ゴールの洗馬駅は、古い駅舎で無人駅ですが、とても良い雰囲気を醸し出しています。

洗馬駅駅舎

今日はここまで5時間30分の旅でした。次回からは木曽路に入ります。途中、奈良井宿をはじめ、いくつかの宿場町を通りますが、それぞれ昔のように雰囲気を今に残す宿場町。ますます楽しみになってきました。

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