街道さんぽ 中山道編 23日目 鳥居本宿〜武佐宿 22キロ

中山道編

訪れる宿場町…高宮宿・愛知川宿・武佐宿

JR米原駅から、近江鉄道を乗り継いで鳥居本駅下車、前回のゴール地点鳥居本宿へとやって来ました。

この日は曇り空🌥

6月に入り少し蒸し暑く感じる日です。

まずは次の高宮宿までの約6キロの道のりを進みます。

【薬と合羽(かっぱ)で栄えた鳥居本宿】

街道筋には、古い格子の町屋が多く残っていて、風情があります。

しかし…旧街道が抜け道になっているのでしょう。

車の往来が多いです。(歩道がないので注意!!)

鳥居本は「合羽(カッパ)」が名物♬

和紙に柿渋で防水を施して痛そうで、赤く染まっていたそうです。

街道筋にも合羽の看板がある民家が建っていました。(現在は廃業されています)

合羽所「松屋」

薬は前回ご紹介しました、「赤玉神教丸有川家の神教丸」があり、薬と合羽が有名です!!

詳細は、リンク先の【今日のゴール、鳥居本宿】をご覧ください。。

旧街道は真っ直ぐに伸びています。

彦根の町に続く、彦根道追分道標があり、宿場を過ぎると田園風景が広がる道を進んでいきます。

すぐ横には新幹線が走る高架がありますが…笑笑

追分道標
すぐ脇を新幹線が走る

小野小町ゆかりの小町塚があり、国道と近江鉄道の踏切を渡ると高宮宿に到着です♬

多賀大社常夜燈

【多賀大社の門前町、高宮宿】

高宮宿は、多賀大社の門前町として栄えた宿場町♬

中山道でも有数な大きさを誇る宿場町でした。

街道沿いは、古い街並みが残っていて、昔の雰囲気を感じることができます。

1635年建造の多賀大社一の鳥居は存在感抜群でした!!

多賀大社一の鳥居

本陣跡・脇本陣跡を過ぎて、むちんばしを渡ると高宮宿を出ます。

江戸時代、川渡しや、仮橋の通行は有料だったそうですが、この橋は渡り賃を取らなかったことから、「むちんばし」と呼ばれたそうです。

むちんばし

次の愛知川宿までは約8キロ♬

真っ直ぐな田園風景が広がる道を歩いていきます。

すぐ脇には新幹線の線路が並行に走っています。

愛知川宿に近づくにつれ民家が増えてきますが、その中に、「伊藤忠兵衛生家」が。

伊藤周兵衛は、高宮布の行商から「丸紅」や「伊藤忠商事」を設立した人物♬

今も世界中で商いをする「丸紅」や「伊藤忠商事」の創設者が近江商人だったとは知りませんでした!!

伊藤忠兵衛旧邸

【商人の町愛知川宿】

愛知川宿は、商業の町として栄えていたそうです。

現在は、商店街になっていて、昔の賑わいはありません。

愛知川宿から次の武佐宿までは、約11キロ♬

伊勢道との分岐点には、道路に案内表示がありました。

江戸時代終わり頃まで舟で渡っていた愛知川も、今は橋を渡って難なく渡れます。

往時の立派な常夜燈が残っていました。

五個荘地区は、「名残松」や、「片山半兵衛家」の旧家が残っていて、江戸時代の雰囲気が感じられる地域です。

名残松
片山半兵衛家

【象さんがやって来た!!武佐宿】

住宅街を通り、国道沿いを歩いて、武佐宿に入っていきます。

江戸時代は賑わっていた武佐宿も、今はこじんまりした宿場町♬

しかし、洋館の元警察署庁舎や本陣跡・脇本陣跡などなど…

街道沿いを歩いていると見るところが随所にありました。

旧八幡警察署庁舎

武佐宿には、1729年輸入された象が、江戸に向かう途中武佐宿で一泊したそうです!!

そして、桝形の横に、今日のゴール地点近江鉄道武佐駅があり、今日の旅を終えました。

【歩いてみて】

鳥居本宿から武佐宿までは、真っ直ぐな道が多く、迷うことはありませんでした。

中山道を歩いているのですが、横を東海道新幹線が走っています…

「ん…中山道なのに、なんで東海道新幹線???」と…

不思議な感じがありました笑笑。

今回の旅で、「江戸時代には橋を渡るのにお金がいることを知りました。

当時はそれが普通だったので、逆にお金のいらない「むちんばし」が珍しく、現在にも名前が残っているのでしょうね!!

次回は、武佐宿から、東海道との合流点草津宿までの旅です。

この日も、恒例の日帰り温泉に寄って帰路につきました。

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