訪れる宿場町…奈良井宿〜藪原宿〜宮ノ越宿〜福島宿
前回の中山道ウォークから約半年ぶりの再開となり、奈良井宿にやって来ました。夏も近くなり、木々がの緑が美しい季節です。
途中、難所の鳥居峠、木曽義仲のゆかりの地、中山道中間地点を通る予定です。
前回終了後、奈良井宿を散策しましたが、後で調べてみると、建物の60%は江戸末期から明治初期に建てられたものだそうで…江戸時代中期から営まれているお店や、200年前から旅籠として営まれている旅館もあり、歴史を感じさせてもらえました!!
普段は観光客で賑わっている奈良井宿ですが、今日は、朝早くからの出発で宿場はひっそり♬人が歩いていない風景は珍しいかもしれません。
約1キロに及ぶ宿場町は、江戸寄りから下町、中町、上町と分かれ、中町と上町の間には「鍵手」と言われる桝形になっています。
長い宿場の京口付近には立派な高札場も復元されていました。
奈良井の鎮守「鎮神社」を過ぎると、いよいよ鳥居峠の入口となります。
鳥居峠は標高1197メートルの奈良井と次の藪原宿を結ぶ間に横たわる山間部で、中山道の難所の一つに数えられていました。その歴史は古く、西暦700年台に開削され、かつては「県坂」とも呼ばれていたそうです。
今は6キロのハイキングコースとして整備され、人気のコースになっています。
今日は朝が早いのでハイカーの姿は見えませんでした。
峠に入る時は、いつも熊よけの鈴を鳴らしながら入るようにしています。今日もチリンチリン♬と鈴の音を鳴らしながら峠に向かいました。
石の階段と石畳を登る雰囲気のある登山道。道は整備されて歩きやすいですが、結構な急坂です💦
石畳の道を過ぎると、土道となりましたが急登は続きます。
くるみ坂を越え、いくつか木橋を渡って進んで行くと「中の茶屋」に出ます。
ここまでハイカーとは出会いません。一人山の中を歩いている感覚で…不安な気持ちになりました。山道をさらに進んで行くと…突然森の中から「ヴオォー」という鳴き声なのか叫ぶ声なのか分からない音が…それもかなり近い!!背筋が凍りつきました💦
ここで熊や猪に襲われたら…誰も助けてはくれません…下手に走れないし💦
急登である事を忘れて、足早にその場を離脱しました!今だにあれは何だったのか分かりません…
そんな恐ろしい思いをしながら、何とか鳥居峠の頂上の到着。
頂上から下ってしばらく行くと、道幅も広がり歩きやすい遊歩道になっていて、熊よけのベルも設置されていました。やっぱりさっきの「ヴオォー」という鳴き声?音?は熊だったのか…何事も無く良かった良かった(^^)
まだ山間地帯は続きますが、ハイカーと出会うことも多くなり、一安心です。しばらく進むと、「子産みの栃」と記された栃の木がありました。この木の空洞に捨て子があり、子宝に恵まれなかった村人が育てて幸せになったことから、名付けられたそうです。
またしばらく進むと、御嶽山の遥拝所である御嶽神社や「硯水の伝説」という湧水がありました。木曽義仲所縁の湧水です。
さすが歴史ある鳥居峠!!いろいろな言い伝えがあって歴史を感じさせてくれました。
森の中を歩き、視界が開けた場所になると、木曽の山々がとても綺麗に見る事が出来ます。山々が連なり実に美しい!!
峠は九十九折の急坂を下ります。急坂を降り終えると、今度は石畳の下って藪原宿へと向かいます。
ここで、中山道ウォーカーの男性と出会いました。京都から中山道を歩いておられるとか♬何だか連帯感が湧きます(^^)
鳥居峠はこの辺りまで♬いや〜キツかった〜(-。-;
さすが難所と言われるだけある峠でした。怖い思いもしましたし…記憶に残る峠越えとなりました!!
藪原宿の入口に「尾州御鷹匠役所跡」があります。1730年尾張藩が設置した役所で、鷹匠役人が「巣山」に入り、捕獲した仔鷹を飼養した場所だそうです。
その先には、飛騨街道の追分あります。奈川を経て野麦峠や飛騨高山に通じる街道で、峠の交通は険しく大変な難所だったそうです。
尾州御鷹匠役所跡のその先に、飛騨街道との追分けの碑が立っています。奈川を経て野麦峠、飛騨高山に通じる街道です。
そして藪原宿へ。藪原宿は木曽義仲の末裔が戦国時代に開いた町で、飛騨街道の分岐点でもあり、軍事的にも重要視されたそうです。江戸時代に入り、中山道が開削されて宿場町として整備されました。静かな町ですが、「お六櫛」(長野県の伝統工芸品)と呼ばれる櫛を生産しています。
1695年の大火で藪原宿のほとんどが消失したため、防火対策として防火高土塀を作り、火災の対策を施したとのこと。
藪原の一里塚を過ぎて国道に出ます。ここからしばらくは国道沿いの道。木曽川に沿って進みます。川の流れと山の緑、青い空がとても綺麗でした!!
トンネルの手前で右に折れ旧国道を進み、神谷入口交差で国道に合流します。ここは権兵衛街道との追分。伊那へ向かう街道です。宮ノ越宿モニュメントがある交差点を右に入り宮ノ越宿へと向かいます。
木曽義仲とゆかりのある巴御前が武技を磨いたとされる巴淵を通って進んで行くと宮ノ越宿です。木曽川の綺麗な流れを渡って義仲館に立ち寄りました。
宮ノ越宿は、源平合戦で平家を追討した木曽義仲ゆかりの地。義仲にまつわる地名や建物が残っています。木曽義仲といえば、北国街道を歩いた際に通った石川県と富山県の間にある倶利伽羅峠で、平家の大軍を破った源氏の武将です。
宮ノ越宿は1601年中山道宿駅が制定された時にできた宿場町。山あいにある静かな宿場町です。本陣・脇本陣の一部が江戸時代のままの姿で残されています。
また、一度大火で消失し、明治になって再建された旅籠田中屋は、現在休憩施設として利用できます。
宮ノ越の一里塚を越えて、JRの踏切を渡り、原野地区に入ると、中山道中間地点の碑が立っていました!!ここは、東京・京都双方からの中間地点!!やっと半分まで来ました!!(^^)
天気が良ければ、ここから木曽駒ヶ岳が綺麗に見えるそうです。
木曽路の綺麗な景色を満喫しながら、途中、草道を通り鉄橋を渡って国道に出て福島宿を目指します。
国道のトンネル手前を右に折れれば、福島宿です。宿の入口には大きな門が立っています。
木曽11宿の中心地で、松本や飯田に次ぐ大きな町だったそうです。また、四大関所(箱根・新居・碓氷・福島)の一つが置かれていた交通の要衝で、約270年間「入り鉄砲・出女」を厳しく取り締まっていました。
大きな門を潜るとすぐに関所跡があります。
関所を抜けると、福島宿の中心部。商店街を進み、創業350年のいわや旅館の前を左折し、細い坂道を登ると、「上の段」に出ます。ここには古い町並みが残っていて、良い所でした!!
上の段の先は桝形になっていて、坂を下り登り返したところが、今日のゴール木曽福島駅です。
奈良井宿から始まった今日の旅は、木曽の美しい景色や宿場の町並みを堪能出来た旅となりました。(恐ろしい思いもしましたが…笑笑)
木曽福島駅前で蕎麦を食べました。もしかしたら、この信州の旅で初めて蕎麦を食べたかも…木曽福島駅は特急も停まる大きな駅。電車に困ることは無いと思います。
次回も木曽路の旅は続きます。綺麗な景色を楽しめたら良いなと思います。
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