街道さんぽ旅 中山道編 17日目 中津川宿〜大井宿 12キロ

中山道編

訪れる宿場町…中津川宿・大井宿

中山道の旅も、美濃路(岐阜県)へやってきました!

ゴールの京都三条大橋までは、200キロ弱です。

今回は、中津川宿からお隣の大井宿までの12キロの道のり♬

いつもよりだいぶ短い旅なのには理由があります。

次に予定している、大井宿から御嶽宿までが山間部を歩くコース。

距離にして…32キロ!!

途中電車、バスなど公共交通機関がありません。

今日、大井宿から先に足を踏み入れると…

山の中で陽が暮れて…

山中「サマヨう」ことに…💦

という訳で、今回は3時間ぐらいの旅となりそうです。

【中津川宿】

【大井宿】

【歩いてみて】

と書き進めていきます。

【山の中から町へ♫中津川宿】

最寄り駅…JR中央西線中津川駅。

中津川宿は、江戸から45番目の宿場町♬

中山道の中でも大きな宿場町でした。

江戸時代には約1キロに及ぶ宿場町に発展。

東濃地方随一の商業の町として栄えました。

中津川駅から駅前の通りを歩いて、前回ご紹介した和菓子屋さん「すや」前からスタートします。

山また山の木曽路を抜けてきて、久しぶりの「町」って感じです。

今は、街道の両側に古い建物を残す「商店街」♬

立派な「うだつ」が立つ家々が立ち並んでいます。

※うだつとは…「卯建」「宇立」という漢字があてられますが、もともとは、隣家との延焼防止ために立てられた防火壁のこと。           「うだつが上がらない」の語源。

立派な「うだつ」が上がる中津川村庄屋居宅

四ツ目川を渡ると、宿場の中心地だった本町に入ります。

本陣・脇本陣跡を通り進みます。

脇本陣跡は資料館になってますよ♬

この先は当時のままの桝形になっている道を進んでいきます。

※桝形とは…宿場を一種の城郭の役割を持たせて整備され、宿場の出入口に設けられた。外敵が侵入しにくくするため、街道を直角に曲げて作られています。

この先桝形になっている

桝形を過ぎた辺りまでが中津川宿♬

さすが東濃随一の商業の町として栄えた宿場町!

大きな宿場町です!!

桝形がある辺りが、往時の雰囲気を色濃く残している印象です。

【クネクネ道!枡形が印象的な大井宿】

最寄り駅…JR中央西線恵那駅

中津川宿の隣の宿場町が「大井宿」♬

現在の恵那市街です。

高札場を過ぎたところから宿場に入ります。

大井宿には桝形が6ヶ所も設けられていて、今も旧中山道の道筋になっています。

大井宿内旧中山道

宿内は、案内板が立っていて、迷うことはありません。

中山道は昔のままの長さ・幅だそうで、くねくね曲がりながら往時の人々と同じ道を歩いていきます。

二つ目の桝形の角には本陣跡があります。

本陣跡

この後も桝形を進んで、大井橋に出た辺りまでが、昔の宿場町となります。

道路に書かれた案内表示

【歩いてみて】

この区間は若干のアップダウンがあるものの、ほとんどが平地を歩きます。

これまで木曽路を歩いてきて、峠道が多かったので、「ホッと一息」って感じでしょうか♬

昔の旅人もそう感じたことでしょう。

田んぼや畑の間を抜ける道が多く、見通しも良いので、遠くの山々まで眺めながら歩ける、のどかな雰囲気が楽しめます。

でも、この区間もコンビニなどのお店がありません。

水や、栄養補給のための食べ物は、中津川駅付近で購入されることをお勧めします。

上の写真の分岐道標では、中山道は左へ。美濃坂本駅へは右へ。

キツい坂道と思った場所は、大井宿の手前にある「「甚平坂」です。

江戸時代は、もっと急な坂道であったようですが、明治になり、明治天皇がお通りになることとなったので、この地の人々が、坂の頂上を2メートルほど掘り下げて坂の傾斜をなだらかにしたとのこと。

この坂の頂きから眺めた景色が、広重の絵になっています。

現在
広重が描いた中山道大井の絵

甚平坂を下ると大井宿到着です。

大井の宿場から最寄り駅である「JR恵那駅」に向かい、今日の旅を終えました。

次回は、また峠を越える長丁場!

中山道の道のりで、最後の山岳地域♬

どんな旅となるのか…

期待半分、不安半分って感じです。

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