訪れる宿場町…中津川宿・大井宿
中山道の旅も、美濃路(岐阜県)へやってきました!
ゴールの京都三条大橋までは、200キロ弱です。
今回は、中津川宿からお隣の大井宿までの12キロの道のり♬
いつもよりだいぶ短い旅なのには理由があります。
次に予定している、大井宿から御嶽宿までが山間部を歩くコース。
距離にして…32キロ!!
途中電車、バスなど公共交通機関がありません。
今日、大井宿から先に足を踏み入れると…
山の中で陽が暮れて…
山中「サマヨう」ことに…💦
という訳で、今回は3時間ぐらいの旅となりそうです。
【中津川宿】
【大井宿】
【歩いてみて】
と書き進めていきます。
【山の中から町へ♫中津川宿】
最寄り駅…JR中央西線中津川駅。
中津川宿は、江戸から45番目の宿場町♬
中山道の中でも大きな宿場町でした。
江戸時代には約1キロに及ぶ宿場町に発展。
東濃地方随一の商業の町として栄えました。
中津川駅から駅前の通りを歩いて、前回ご紹介した和菓子屋さん「すや」前からスタートします。
山また山の木曽路を抜けてきて、久しぶりの「町」って感じです。
今は、街道の両側に古い建物を残す「商店街」♬
立派な「うだつ」が立つ家々が立ち並んでいます。
※うだつとは…「卯建」「宇立」という漢字があてられますが、もともとは、隣家との延焼防止ために立てられた防火壁のこと。 「うだつが上がらない」の語源。
四ツ目川を渡ると、宿場の中心地だった本町に入ります。
本陣・脇本陣跡を通り進みます。
脇本陣跡は資料館になってますよ♬
この先は当時のままの桝形になっている道を進んでいきます。
※桝形とは…宿場を一種の城郭の役割を持たせて整備され、宿場の出入口に設けられた。外敵が侵入しにくくするため、街道を直角に曲げて作られています。
桝形を過ぎた辺りまでが中津川宿♬
さすが東濃随一の商業の町として栄えた宿場町!
大きな宿場町です!!
桝形がある辺りが、往時の雰囲気を色濃く残している印象です。
【クネクネ道!枡形が印象的な大井宿】
最寄り駅…JR中央西線恵那駅
中津川宿の隣の宿場町が「大井宿」♬
現在の恵那市街です。
高札場を過ぎたところから宿場に入ります。
大井宿には桝形が6ヶ所も設けられていて、今も旧中山道の道筋になっています。
宿内は、案内板が立っていて、迷うことはありません。
中山道は昔のままの長さ・幅だそうで、くねくね曲がりながら往時の人々と同じ道を歩いていきます。
二つ目の桝形の角には本陣跡があります。
この後も桝形を進んで、大井橋に出た辺りまでが、昔の宿場町となります。
【歩いてみて】
この区間は若干のアップダウンがあるものの、ほとんどが平地を歩きます。
これまで木曽路を歩いてきて、峠道が多かったので、「ホッと一息」って感じでしょうか♬
昔の旅人もそう感じたことでしょう。
田んぼや畑の間を抜ける道が多く、見通しも良いので、遠くの山々まで眺めながら歩ける、のどかな雰囲気が楽しめます。
でも、この区間もコンビニなどのお店がありません。
水や、栄養補給のための食べ物は、中津川駅付近で購入されることをお勧めします。
上の写真の分岐道標では、中山道は左へ。美濃坂本駅へは右へ。
キツい坂道と思った場所は、大井宿の手前にある「「甚平坂」です。
江戸時代は、もっと急な坂道であったようですが、明治になり、明治天皇がお通りになることとなったので、この地の人々が、坂の頂上を2メートルほど掘り下げて坂の傾斜をなだらかにしたとのこと。
この坂の頂きから眺めた景色が、広重の絵になっています。
甚平坂を下ると大井宿到着です。
大井の宿場から最寄り駅である「JR恵那駅」に向かい、今日の旅を終えました。
次回は、また峠を越える長丁場!
中山道の道のりで、最後の山岳地域♬
どんな旅となるのか…
期待半分、不安半分って感じです。
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