三関とは、古代日本で畿内周辺に設けられた、関所のうち、特に重要な3つの関所です。
当初は、不破関(美濃国、今の岐阜県)鈴鹿関(伊勢国、今の三重県)そして、愛発関(越前国、今の福井県)にありました。
不破関は東山道(中山道)、鈴鹿関は東海道、愛発関は北陸道(北国街道)に置かれていましたが、後に、愛発関に代わり、逢坂関(近江国、今の滋賀県)が置かれました。
古代、三関は、天皇の交代など、政情不安の際、交通を遮断する役割があったようです。
東国から畿内への侵入を防いだり、中央の謀反者が東国への逃亡を防ぐ目的もありました。
そんな重要な関所の一つが北国街道にあったなんて、歩いた後に知りました…
ただ、愛発関は数十年間だけ存在しただけで、逢坂関に変わっていますので、詳しい場所は分かっていないようです。
因みに、古代には三関より東側の地方を「関東」と呼んでいました。
今、関東地方と呼ばれている地域とは、随分違いますね。
そんな大昔に、重要な関所が置かれていた北国街道は、古代より主要な街道という認識がされていたと思います。
画像はWikipediaより
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