北国街道最大難所「親不知」

プライベート日記

親不知は新潟県糸魚川市にある、崖が連なった地帯で、正式には、「親不知」「子不知」(おやしらず・こしらず)といい、日本海の海岸の断崖絶壁に沿って狭い砂浜があるだけの道でした。

名前の由来は諸説あり、親は子を、子は親を省みることができない程の険しい道であることから、名付けられたといいます。

また、壇ノ浦の戦いで敗れた平頼盛が、越後国に流され、都に住んでいた妻が、子供を連れて京都から、越後国を目指す途中、この難所を越える際、連れていた子を波にさらわれ、悲しみのあまり歌を詠んだことから、子供をさらわれた浦を「親不知」と呼ぶようになったする説もあるようです。

日本海に面する断崖は飛騨山脈の北端が日本海によって侵食され生まれたもので、崖の高さは300〜400メートルほどあります。

かつて越後国と越中国の間を往来する旅人は、この断崖の下にある、海岸線に沿って進まねばならず、波間を見計らって狭い砂浜を駆け抜け、大波が来ると洞窟に逃げ込みましたが、途中で波に飲まれた者も少なくなかったようで、まさに命懸けの道でした。

時代は下り、明治天皇の行幸の際に、断崖を削って道が作られ、昭和に入り、国道が作られ、徐々に拡張されました。

昭和の終わりには、北陸自動車道が開通。

平成に入り、北陸新幹線がこの区間の山側をトンネルで結び、開通しました。

現在でも国道は、洞門やトンネルの連続であり、道幅も狭くカーブも多い道になっています。

また、トラック等交通量も多く、重要な役割を果たしています。

歩いてや自転車で親不知を通行する際は、くれぐれもお気をつけて!

安全対策を十分になさって通行されることをお勧めします。

親不知と言われるこの区間は、今でも交通の難所であることは変わらないようです。

参考資料 Wikipedia

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