【大昔は半島だった!!】上町大地を散策♬

プライベート日記

良い天気の日曜日♬

この日は大阪市内に残る旧所・名跡を歩いて訪れようと思い家をでました。

大阪市内の旧所・名跡と言ってもたくさんあり過ぎて…

一度に訪れることはできません💦

今回のターゲットは、「上町台地」!!

上町台地に残る歴史散策です♬

【上町台地は大昔半島だった!!】

上町台地は大和(やまと)川より北に向かって大阪城の辺りまで、大阪市を南北に走る台地です。

北ほど高度が高く、南に行くに従って低くなっています。

縄文時代は、河内低地に入り込んだ大阪湾内に突出する半島であったそうで、淀川と大和川から運ばれてくる堆積物によって小さくなり、河内湾→潟湖→湖沼へと変化。

古墳時代以降、現在の地形になりました。

上町台地は古くから開け、茶臼(ちゃうす)山、帝塚(てづか)山の古墳の他、四天王寺、難波宮(なにわのみや)跡、生国魂神社、大阪城などなど…

多くの史跡が残っています。

【JR森ノ宮駅から真田山】

朝8時30分。JR森ノ宮駅到着♬

駅の斜め向かいには、大阪のシンボル大阪城がそびえています(^^)

1、鵲森ノ宮神社

森ノ宮駅から玉造通りを渡って南にすぐのところに、鵲森ノ宮(かささぎもりのみや)の神社があります。

聖徳太子が父用明天皇のために建てた神社で、新羅から献上されたカササギを飼育していたことから、その名がついたとか♬

この辺りは森ノ宮遺跡と呼ばれ縄文時代の遺骨も出土しているそうです。

2、玉造稲荷神社

玉造通りを南へ下り、ホームセンターがある交差点を西にしばらく行くと、玉造稲荷神社があります。

紀元前12年の創祀(そうし、神様を最初にまつること)されたと伝えられる玉造稲荷神社!

聖徳太子にも縁があり、玉造部(三種の神器などの勾玉を作る人)の居住地だったそうです。

江戸時代は、伊勢詣りの起点とされ、旅人は旅の安全を祈願しました。

今は、豊臣秀頼公の銅像も建っています。

3、聖マリア大聖堂

玉造稲荷神社から西に進んだすぐのところに、聖マリヤ大聖堂があります。

ここは、戦国時代の武将細川忠興の妻、ガラシャ(玉子、明智光秀の三女)とキリシタン弾圧を逃れて、フィリピンで亡くなったキリシタン大名、高山右近の銅像がある教会です。

大聖堂の北側には細川忠興屋敷にあった井戸(越中井)が残っています。

聖マリヤ大聖堂

4、真田山

越中井から南進し、長堀通を渡ってしばらく行った左に真田山公園があります。

真田山公園の北にある小高い丘を登ると、陸軍墓地と三光神社があります。

明治の始めに造られた日本初の陸軍墓地で、西南戦争から第二次世界大戦ままで、5千基以上ある墓地です。

その隣には三光神社があり、ここは大坂冬の陣で真田幸村が築いた出城、真田丸の跡地と言われており、真田幸村の銅像と、彼が掘ったとされる「真田の抜け穴」がありました。

陸軍墓地
真田の抜け穴

真田山辺りはたくさんお寺があり、通りもとても綺麗でした(^^)

【真田山から茶臼山を通り四天王寺】

1、近松門左衛門の墓

真田山から西へ。

谷町筋に出て左に曲がり、ガソリンスタンドの手前のビルの横に、近松門左衛門のお墓があります。(ビルの隙間にあるので見つけにくい!)

近松門左衛門は、江戸時代の歌舞伎・浄瑠璃作家♬

「曽根崎心中」や「冥土の飛脚」など、たくさんの作品を残した、教科書にも出てくる人ですよね♬

2、高津宮

近松門左衛門のお墓から、谷町筋を南下。

次の信号を右に曲がり坂を下ると高津宮があります。

高津宮は仁徳天皇ゆかりの神社♬

清和天皇の時代、866年勅命(天皇の命令)により、旧都の遺跡を探索し社地を定めて社殿を作ったのが始まりと言われています。

仁徳天皇と言えば、高津宮がある高殿から四方を見渡し、「見渡す限りカマドの煙が見えないのは、民が困窮しているらであろう。とその後3年間税の徴収を行わなかったといいます。

その3年の間、宮殿も傷み雨漏りがするようになりましたが、3年後、国中カマドから煙が立ち昇っているのを見て大層お喜びになられたとか♬

3、生國魂神社(いくたまじんじゃ)

高津宮から南下し、千日前通りを西へ少し行ったところの歩道橋を南へ渡ると、生國魂神社の鳥居があります。

生國魂神社鳥居

鳥居を潜って坂を登ると生國魂神社です。

生國魂神社北側の真言坂
真言坂に建つ道標

別名、難波大社(なにわのおおやしろ)と呼ばれる生國魂神社。

神武天皇が東征の際、自ら日本列島そのものの神である生島大神・足島大神を祀られ、国土の平安を祈請されたのが発祥とされる、大阪で最も古い神社と言われています。

その歴史は伊勢神宮より古いんですよ!!

元々は現在の大阪城付近にありましたが、1598年現在の場所に移転されました。

神社の建物は本来、本殿・弊殿・拝殿の3つの建物に分かれていますが、生國魂神社は、本殿と弊殿が一つの屋根でつながれた造りで、「生國魂造(いくたまづくり)と呼ばれる、全国ただ一つの建て方をされています。

生國魂神社の付近にもお寺が数多くあります。

道の左右に建つお寺の間を南へ進み、谷町筋に出てさらに南下すると、一心寺、そして天王寺公園に出ます。

正面の高い建物はあべのハルカス

4、茶臼山

茶臼山は、天王寺公園の中にあります。

れっきとした山で、標高26メートル!!

大坂の陣では徳川方と大坂方(真田幸村軍)が戦った古戦場でもあります。

天王寺公園は動物園もある大きな公園♬

私も幼稚園の遠足で行きました!!笑笑

天気も良かったので、公園内をブラブラ散策したりベンチで休憩したり♬

ゆっくり見て周りました。

大阪のシンボル通天閣

5、四天王寺

天王寺公園を出て、谷町筋を北へ少し戻ると四天王寺があります。

ご存知の通り四天王寺は聖徳太子が593年に建立した日本最古の官寺♬

物部VS蘇我の合戦の際に、蘇我氏の皇子だった聖徳太子が、合戦の不利を挽回するため自ら四天王像を彫り、合戦に勝利したら四天王を安置する堂を建てると誓いを立て、合戦勝利後に建立したのが四天王寺です。

石鳥居から中に入り参拝しました。

この日は参拝客も多く、出店もいっぱい!!

とても賑わっていました!!

実は…長年大阪にいて私は初めて四天王寺を訪れたのでした!!笑笑

四天王寺石鳥居(西門)

【日本最古の「つるのはし」跡に寄り道】

大阪に「鶴橋(つるはし)」という地名があります。

JR線・近鉄線・地下鉄線が交わる主要駅なのですが、今まで何も考えず呼んでいた地名のゆかりの地があると知り、寄って見ることにしました。

四天王寺を出て東へ。

勝山通りをさらに東へ進んで、生野市役所がある交差点を北へ向かうとその地はあります。

猪甘津橋(つるのはし)跡。

文献に残る日本最古の架橋がこの「つるのはし」!!

仁徳天皇の時代、未だ大阪平野に河内湖が存在していた時代…

河内湖の入り江に注ぐ川の河口付近は、人や物資を運ぶ猪甘津(いかいのつ)と呼ばれる港があり、大層賑わっていたそうです。

その場所に架けられた猪甘津(いかいつのはし)♬

仁徳天皇がおわす高津宮から河内、大和へと繋がる重要な橋でした。

この橋が江戸時代になり、鶴橋(つるはし)と呼ばれるようになったそうです。

この橋の北側に鶴が多く集まった事から、鶴橋と呼ばれるようになったともいわれています。

【歩いてみて】

上町台地にある史跡を約4時間、距離にして約12キロを見て歩きました。

神武天皇から仁徳天皇、聖徳太子の時代、戦国時代から江戸時代、そして明治に至るまで…

日本の歴史が詰まった場所が、ここ上町台地にはたくさん残されています!

奈良や京都に負けない歴史が上町台地にはありました!!

上町台地は、大阪市内に位置しています。

従って、コンビニやお店は多数ありますので、栄養補給や水分補給の心配はありません。

途中公衆トイレも所々に設置されていますので、特に問題はありませんでした。

今回、大阪の街を歩いて、これほど史跡が残っていることに驚きました!!

また、時間を見つけて大阪の史跡巡りをしてみたいと思います!!

皆さんも身近な地域の史跡を巡るウォーキングをしてみてはいかがですか(^^)

新しい発見があるかもしれませんよ(^^)

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