紀州街道最後の旅を予定していた日…
前日から雨…
当日の朝も雨だったのですが、次第に回復するとの予報。
午後は回復とのことで、予定より2時間遅れて、前回終了のJR山中渓駅に到着です。
弱い雨が降っていましたが、傘をさすほどでもないので、予報を信じてスタートしました。
【県境を越えて和歌山へ】
前回と引き続き熊野街道と重複区間を進みます。
峠に向かって緩やかな登り坂。
しばらく進むと、山中関所跡があります。
南北朝時代に設置されたらしく、江戸時代になり廃止。
今は、石碑が残るだけです。(石碑も倒れている…)
片側一車線の車も通る道で歩道も無いので注意が必要です(交通量はそんなに多くありませんが)
境橋を渡ると、この旅唯一の県境越えです。
この県境が峠の頂上ではありません💦
登りはまだ続きます💦
道の両側から山が迫り、前方にも山!
「あの山をを越えたら下りになるかなぁ」と思いながら歩いていましたが、峠越えの道は好きなので、あんまり苦でもありませんでした!!笑笑
集落に入る手前から、旧道は現在の車道から外れて進みます。
外れてすぐに中山王子があり、集落を抜けるとまた車道に合流です。
道はくねくね曲がりながら標高180メートルの雄ノ山峠に到着♬
峠を過ぎると下りは急です!
ヘアピンカーブもあります!!
下って行くと前方に高速道路の橋桁が見えました。
めちゃくちゃ高いところを道路が通っていて驚きです😵
この高架橋を過ぎると旧道は左に外れ、すぐに山口王子があります。
ここから先、しばらく続く田園風景は良かった!!
雨上がりで草の香りが漂い、稲穂が実って♬
秋を感じる日本の田園風景でした!!
しばらく田園風景を楽しんで集落に入ると、地面に埋まった道標がありました!
左 大阪 右 ねごろ
と書いてあるのでしょうか…
この近くに山口小学校があって、昔は山口御殿があったそうです。
歴代藩主が出入国する時や幕府から使者が入国する際の休憩処として利用されていたそうです。
国道を渡り集落の中を進んで行きます。
立派なお屋敷もあり「左北大阪みち」と書いた道標も立っていました。
【紀の川を渡って京橋へ】
集落を抜けると紀の川に出ます。
紀の川の堤防沿いを歩いて川辺橋から紀の川を渡りました。
紀の川は、奈良県から和歌山県へと流れて海に注ぎます。
奈良県内では吉野川と呼ばれていて、吉野川と紀の川が併記されているそうです。
因みに紀の川の名前の由来は「紀伊国」からきています。
橋の上からは、遠くに和歌山市内が見えます。
紀の川を渡り、しばらく行くと大和街道と合流し西へと向かいます。
ここで熊野街道とはお別れ♬
ここからしばらくは住宅街を歩きますが、その先は川沿いの国道をひたすら西へ。
歩道がなく単調で退屈な道が続きます。(私はこんな道が一番苦手です…)
何キロ川沿いの国道を歩いたでしょうか…
川沿いを外れ住宅街を進み、途中の三叉路には道標が…
右は和歌山、加太方面、左は紀三井寺方面と書いているようです。
住宅街を抜けるとまた、国道と合流。ここから先は歩道もあり、安全に歩けました。
四箇郷一里塚を過ぎて進むと、「嘉家作り丁(かけつくりちょう)」という案内が!
この辺りは、城下入口の宿場町♬
紀の川水害後に建築された堤防斜面を利用して建築されたもので、表は道路、裏は堤防で低くなっている「懸け作り」という独特の建築様式だそうです!!
この先を左に折れると京橋までは一本道!
だんだん和歌山市の中心部に入って行きます。
そして…
紀州街道のゴール京橋に到着〜♬
京橋は京都へ向かう起点となる橋。
江戸時代は高欄擬宝珠(こうらんぎぼし)付きの橋だったそうです。
紀州街道の起点、高麗橋も擬宝珠が付いた橋でした。
大阪と和歌山を結ぶ紀州街道は起点と終点、双方とも立派な橋が懸けられていたんですね!!
【ちょっと寄り道、和歌山城】
紀州街道は京橋までですが、その先には和歌山城があります!
せっかくですから和歌山城を見学に行くことにしました。
1585年秀吉が紀州を平定し、弟の秀長に命じて作らせた城で、城造りの名人藤堂高虎が普請奉行を勤めました。
高虎が手がけた最初の本格的な近世城郭だと言われています。
この頃、「若山」が「和歌山」に改められたそうです。
関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が増築、城下町を整備し、1619年徳川家康の十男頼宣が入国し御三家紀州藩55万石が成立しました。
紀州徳川藩は、「南海の鎮(なんかいのしずめ)」として西日本を監視する役割があり、八代将軍吉宗、十四代将軍家茂を排出した家柄でもあります。
小高い山の上に立つ和歌山城は、堀と石垣で固められた要塞のようでした。
石垣の道をクネクネ曲がりながら登って行くと天守閣があります。
和歌山城は初めて訪れました。
大阪城や姫路城のように大きさや派手さはないですが、すごく風格がある城です!
海にも近い場所に建つ和歌山城。
昔は付近に高い建物もなかったでしょうから、一際目立って威厳があったのだろうと思いました!!
【歩いてみて】
紀州街道を5日かけて歩き切りました!!
大都市大阪から和歌山への主要街道には、たくさんの歴史を感じさせてくれる遺物が残っていました。
良い意味で予想外!!
商業の中心地大阪、古代から信仰されていた住吉大社、自治都市堺、城下町岸和田、寺内町貝塚、白鳳時代に建てられた海会寺跡、道がない?琵琶崖と…
今回の旅でも貴重な経験ができました!!
雄ノ山峠以外は平坦な道が続き歩きやすかったです。
危ないな!と思った場所は、琵琶崖と紀の川沿いの国道を歩くところ!
琵琶崖は廃道になってますので、迂回路を行くことをお勧めしますし、紀の川沿いの国道は、歩道がなくトラックなどの大型車両も通るので注意してください!!
信達宿から和歌山の山口まではコンビニなどのお店がありません。
(山中渓駅付近にはコンビニではありせんがお店はあります)
その付近を歩く時は、栄養補給、水分補給のため準備して行った方がいいです。
また、街道全体として近くを、JR阪和線や南海本線が走っています。
予定を変更しても電車に乗ることは、容易ですので安心です。
熊野三山に参詣できる熊野街道も大阪市内から並行して続いています。
皆さんも、大阪や和歌山の歴史を感じることができる旅をしてみてはいかがですか(^^)
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