【武田家の歴史に触れながら】街道さんぽ 甲州街道編 石和宿〜韮崎宿 20.8キロ

甲州街道編

甲州街道 9日目の旅

秋が深まり、日々涼しさが増してきました。

今朝は少し遅い日の出を迎え、ホテルの窓からは夜明けの山並みとともに富士山の頭が美しく見えました。

この風景は、昔も今も変わらないもので、江戸時代の旅人も同じ景色を見ていたのかと思うと、まるで時空を超えたような気持ちになります😊

2024年10月

【道のり】

①石和宿〜府中柳町宿

朝6時、笛吹警察署北交差点から韮崎宿に向けて歩き始めました。

甲運橋を渡ると、1860年に建てられた道標が立っており、甲府や東京方面を示しています。

ここから国道411号線を西へ進むと、途中で丸石道祖神があり、前回の旅から何度か目にするようになりました。

歴史ある交差点と宿場町

山崎三叉路では、かつて内藤新宿で分かれた青梅街道と再び合流します。

青梅街道との合流地点山崎三叉路

さらに進むと山梨学院大学の立派な校舎が見えてきて、その先に甲府柳町宿へと入ります。

この場所は、江戸時代には旅人や商人が行き交う交通の要所で、特に柳町は甲州街道の宿場町として栄えていました。

今もその名残を感じさせる古い町並みが保存されており、歴史の息吹が感じられます。

甲府市街

武田信玄の影響と甲府の発展

甲府市は戦国時代の名将、武田信玄の本拠地としても知られています。

彼は甲府を城下町として発展させ、経済や商業の振興にも力を入れました。また、甲府市内からは富士山や南アルプスが望め、その雄大な景色は江戸時代の文人たちをも魅了したと言われています。

甲府柳町宿(こうふやなぎまちしゅく)|甲州街道 > 商業で賑わい芸術が彩る甲府柳町宿コース | やまなし歴史の道ツーリズム Yamanashi Historical road Tourism

②次の宿場、韮崎宿へ

甲府柳町宿を出発し、13キロ先の韮崎宿を目指します。

賑やかな甲府市街を抜け、少し進むと荒川を渡り、そこからは富士山や南アルプスの山々を一望できる美しい景観が広がります。

荒川橋から
荒川橋から

この日は快晴で、その雄大な姿が目の前に広がりました。

道中では、竜王新町に入ると、多くの道祖神が祀られているのが印象的です。

急な坂を登り、振り返るとここでも富士山を見渡す絶景スポットが広がっていました!

さらに進むと、歴史ある風情が色濃く残る下今井に到着。

ここでは当時の建物がそのまま残り、甲州街道の往時の姿を感じることができます。

泣石と武田家の悲劇

もう少し進むと、武田勝頼夫人が新府韮崎城を後にした際、燃え上がる城を振り返り涙を流したと言われる「泣石」があります。

勝頼とその家族の悲劇は、この地域の歴史に深く刻まれています。

韮崎宿と佐久甲州街道の合流地点

韮崎宿に到着すると、市民祭りが行われており、道路は歩行者天国に。

残念ながら韮崎宿本陣跡の石碑は見つけられませんでしたが、少し寄り道をして、佐久甲州街道の道標を見学しました。

道標には「信州さく郡みち」と刻まれています。

中山道を歩いた時に、岩村田宿で分岐した佐久甲州街道♬

そのゴール地点の韮崎宿で再度合流😊

歩いていないのに達成感を感じます😆

佐久甲州街道道標
韮崎宿(にらさきしゅく)|甲州街道 > 時代を越えて継承される町づくりの息吹・韮崎宿コース | やまなし歴史の道ツーリズム Yamanashi Historical road Tourism

【見どころ】

①甲府城

甲府と言えば武田信玄が思い浮かびますが、現在の甲府城は、武田氏滅亡後に豊臣秀吉の命により築城されたものです。

JR甲府駅からも近く、城跡の一部が公園として開放されています。

舞鶴城公園(甲府城跡)
「舞鶴城公園(甲府城跡)」の情報は「甲府観光ナビ」で。舞鶴城公園は、16世紀末に築城された甲府城跡の一部で、現在は公園として開放されています。甲府駅から徒歩約3分の位置にあります。舞鶴城とは白壁が重なり合うその優雅な姿から「鶴が羽根を広げたような城郭」という意味で呼ばれた、甲府城の別名の1つです。公園内には、築城当時の...

②荒川橋からの風景

甲府柳町宿を出てすぐ、韮崎宿に向かう途中の荒川に架かる荒川橋からの景色は素晴らしい!!

左に富士山、進行方向には南アルプスと、日本を代表する山々を見ることができます。

【旅の終わりに】

今回の旅は天気にも恵まれ、富士山や南アルプスの壮大な景色、稲刈り風景や柿の木、コスモスの花々を眺めながら終えることができました。

武田家の歴史と綺麗な風景を堪能した一日でしたが、次は八ヶ岳が見える景色を楽しみにしています😊

船形神社石鳥居(1397年建立)
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