この日も朝から真夏の太陽がギラギラ😡
暑い日になりそう💦
南海電車で住吉大社まで行き旅の続きをスタートしました。
【堺に向けて】
路面電車沿いを少し歩いた後、旧道に入ります。
しばらく行くと、「おはらい橋」があります。
江戸時代の住吉大社古図にも出てくるこの橋♬
住吉神社の大祭を、この土地では「お祓(おはらい)」と言うそうで、住吉神社の大祭に因んで名付けられたそうですよ♬
旧道を南へ。
今度は、「霰松原(あられまつばら)」という松の木がありました。
この松は、「万葉集」天武天皇の皇子が詠んだ歌にも出てくるそうで、奈良、平安時代はこの辺りまで海だったそうです。(現在の海岸線はずーっと西にあります)
白い砂浜と松の緑が美しい場所で、多くの人が訪れた場所です。
他にも街道沿いには、昔を想わせる建物や、道標が立っていたり♬
現在は住宅街の中に、ひっそりと佇んでいますが、歴史を感じさせてくれる道中で、大阪市内であることを忘れてしまいそうでした!
【自由・自治都市 堺】
大和川を渡り堺へと入ります。
歴史の教科書にも出てくる「自由・自治都市」堺♬
その地名は、摂津国・河内国・和泉国の3国の「境(さかい))であったことに由来するそうです。
15世紀から16世紀にかけて、貿易で富を得た商人が、海に面する西側以外に濠をめぐらせ、守護大名や武士の侵入から町を守っていました。
現在の堺市は、大阪府第2の人口を誇る大都市ですが、街道沿いには、古い建物や道標が残っています。
路面電車が走る道路を進んで行くと、「大小路(おおしょうじ)」です。
東西に走る大小路筋。
ここは、摂津国と和泉国の国境でした。
ここから東へは、奈良に向かう「竹内街道」や高野山に向かう「西高野街道」が伸びています。
さらに進むと「宿院」の交差点。
ここは、住吉大社の社領で、旅所(たびしょ)でした。
大きなフェニックス通りには、大きな石燈籠が2基建っていて、近くには今井宗薫(豊臣秀吉の御伽衆)の屋敷跡や、千利休(戦国時代の茶人)屋敷跡があります。
【浜寺公園を通って泉大津へ】
堺の中心部を抜けると、幹線道路から少し外れて住宅街を通ります。
南北朝の1338年に、南朝軍と北朝軍の両軍が堺の港を争奪するため、激戦が繰り広げられた、石津を抜けると浜寺公園です。
浜寺公園は堺市と高石市の沿岸に広がる大きな公園です。
「名松100選」にも選ばれ、明治6年に開園した日本最古の公園のの一つ♬
広大名敷地の中には、プールやバラ園、野球・テニスなどが楽しめる総合公園になっています。
海に近いので、公園内は風通しもよくて♬
日陰のベンチでしばし休憩タイムを取りました😊
実は、大阪に住んでいても浜寺公園は初めて!
こんなに広くて歴史のある公園だなんて!
全然知りませんでした!!
浜寺公園を過ぎて幹線道路を南へ。
この日はとても暑い日でしたが、この辺りは海に近いせいか、風が吹けば体感的に暑さも幾分収まります。
泉大津に入り、助松までやってくると、「田中家住宅」があります。
田中家は、清和源氏の系統と伝えられていて、江戸時代には大庄屋と勤めていた家柄だそうで、参勤交代の時大名の休息のために使用され「助松本陣」とも呼ばれていたそうです。
街道沿いにある大きなお屋敷は、今も江戸時代当時の面影を残しています。
街道をさらに進むと、「助松村境石造物群」があります。
集落の境は、災厄の出入りする場所として、境を守る道祖神や地蔵などの神仏を祀ることが多く、ここがかつて集落の南端と認識され設置されたそうです。
そして今日のゴール南海電車泉大津駅に到着♬
5時間の旅を終えました。
【歩いてみて】
今日もとても暑かった〜💦
浜寺公園からは海が近かったんでしょうね(見えませんでしたが…)
風が吹くと心地よく歩けて助かりました😊
大阪市・堺市と歩き両市とも大都会のイメージがあったのですが、街道沿いには、今に伝わる歴史的な物が数多く残っていました。
特に堺市!!
大阪府第2位の大都会であるのに…
鉄炮鍛冶屋跡や、千利休の屋敷跡、江戸時代から建っている道標などなど…
目移りしてキョロキョロしながら歩いてました!!笑笑
道自体は今日も平坦な道が続き、問題なく歩けました。
帰りは泉大津駅から急行に乗って帰ったのですが、今日歩いた区間を13分で過ぎて行きました!1笑笑
行きは歩いて5時間。
帰りは電車で13分…
こんなギャップも楽しんでます!!笑笑
次回は岸和田城を見ながら、貝塚、そして関西空港のお膝元、泉佐野に向かいます!
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