夏に街道を歩くときは、熱中症対策も兼ねて、いつも朝早くに出発し、昼過ぎには終わる予定で歩いています。
この日も真夏の太陽がギラギラ☀️
朝早くに家を出て、電車を乗り継ぎ泉大津駅へとやって来ました。
【忠岡町を通り岸和田へ】
泉大津駅から程近い商店街を抜けて南へ進みます。
この辺りは住宅街♬
朝の早い時間で人通りも少なく静かでした。
川を渡ると忠岡町です。
河川敷には大きな日本地図が!!
忠岡町は、日本一面積の小さな町だそうで…
大阪に住んでいても全然知りませんでした😵
忠岡町の住宅街を進んで行きます。
お祭りの準備でしょうか??
町には提灯がぶら下がり、青年団とおぼしき人たちが、何か準備をされていました。
この辺りも「だんじり祭り」が毎年行われるそうで、4台のだんじりが狭い路地を全力疾走で駆け抜けるそうです!!
【岸和田は城下町】
忠岡町を抜けると岸和田市です。
岸和田は岸和田城があった城下町。
関西空港から15キロという近さから、「世界に一番近い城下町」と言われているそうですよ♬
岸和田の地名は、建武の新政期に、楠木正成の一族がこの地を治めた時からの地名だそうで、古い歴史があります。
岸和田城下に入って行くと、1933年に建てられた「旧和泉銀行本店」があります。
現在は役割を終え、国の有形文化財にしてされています。
近くには1935年建設の「岸和田中央会館」もあります。
街道筋には、いきなり80年以上前の建物が並んでいます!!
しかし、城下町ですから、こんなのは序の口かもしれないと思い、ワクワクしてきました!!
欄干橋を渡って、桝形を通り城下に入って行きます。
岸和田は宿場町♬
旧道には古い建物が残っていて、往時の雰囲気が漂っています!
岸和田にこんな場所があっただなんて!!
まったく知りませんでした!!
街道沿いにある円成寺は、信濃国の武士が出家し、1536年に建立したお寺♬
お城のような建物で、思わず写真をパシャ!!
吉田松陰の逗留地や一里塚跡もあって、街道ウォーキング好きには、あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロしながら歩いてました笑笑
街道筋からは岸和田城が見えなかったので、大通りに出て岸和田城をちょっと拝見♬
これまで、電車の中から見える岸和田城しか見たことがなかったので、ぶらぶら散策しながら見学しました♬
現在の岸和田城天守閣は、昭和29年に建造されたもので、近世以前の構造物は堀と石垣だけが現存しています。
岸和田と言えば、だんじり祭り♬
毎年秋に行われる全国でも有名なお祭りです。
だんじり祭りをテーマとした「岸和田だんじり会館」もあります!!
岸和田だんじり会館
↓
岸和田の宿場を抜けると天性寺があります。
別名「蛸地蔵」♬
昔、紀州根来の武士が岸和田に攻め込んできた時、蛸と白法師(お地蔵様)の化身が追い払ったという言い伝えから、その後お地蔵様が、この寺に祀られたと言います。
【寺内町 貝塚】
住宅街をどんどん進んで行くと、貝塚に到着です。
古くは、「海塚」と書かれたそうで、泉州を代表する港町でありました。
一向宗の拠点として寺内町としても栄えたそうです。
その中心が願泉寺。
貝塚御坊とも呼ばれています。
戦国時代には、一向宗の反乱が起きる中、貝塚は石山本願寺側につき、織田信長に攻められて、焦土と化しましたが、その後再建されています。
お寺も多く、寺内町と言われる理由がよくわかりました!!
岸和田といい、貝塚といい…
こんなに昔の面影が残っている場所があるなんて…
私が持っていたイメージを見事に覆させられた町でした!!
【今日のゴール、南海井原里駅へ】
貝塚を抜けるとまた住宅街を進みます。
途中、「八大龍王道」と刻まれた道標がありました。
高おかみ(たかおかみ)神社の参道を示す道しるべで、江戸時代に建てられたものです。
この辺りまでくると、田んぼや畑が増えてきて見通しも良くなってきました。
泉佐野市の鶴原で、同じく和歌山城下に向かう、孝子越え街道と分岐し南へ♬
遠くには、和歌山との県境の山々が見えてきます。
山を見ながら、「あの山々のどの辺りを通るんだろう?」と考えながら歩いていました。
孝子超え街道を過ぎて、しばらく歩いたところに、今日のゴール南海井原里駅があります。
今日の旅はここまでとしました♬
【歩いてみて】
今日も住宅街を通ることが多く、道のりも平坦でした。
南に向かうにつれて、田畑も多くなってきて、景色が開けてきた印象です。
岸和田や貝塚にこれだけ歴史が詰まった場所が残っているなんて!!
新しい発見もできました!!
次回は、和歌山との県境に向けて、少しずつ山道になってきます。
紀州街道唯一の県境跨ぎ。
次も楽しみです♬
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